米国は日本の鏡


米人口統計局が10年ごとに行っている人口統計によると、全人口に占める白人の割合は、減少傾向にある。

  • 1980年⇒83.1%
  • 1990年⇒80.3%
  • 2000年⇒75.1%

一方、2000年の人口統計で、総人口は2億8140万人。うち3110万人(11.1%)が外国生まれで、その半数以上は中南米という。外国生まれの米国人の数はこの10年間で1.6倍になっている(本書*120ページから)。

こうした諸外国からの移民の流入は、米国のマジョリティ、白人との間での摩擦を広げている。たとえば白人優越主義の影響力拡大。その一人、ウイリアム・ピアースはつぎのように語る。
人間は、家族、共同体のなかに根っこを持ってこそ強く生きることができる。それは、適度な同質性が保たれてこそ、可能だ。米国では、この50年間で人種的同質性が失われ、社会的な病理、混乱、問題が生じた。

どこかで聞いたような主張だが、これを私たちは「極端な主張」と片づけてよいのか。

著者・河野博子(『アメリカの原理主義 (集英社新書)』)がいうように、米国の貧富の格差は、増大の一途をたどっている。冒頭の諸外国からの移民もその要因の大きなものだ。その実態は、昨年の8月に南部を襲ったハリケーンカトリーナがもたらした被害が黒人や貧困層に集中したことに表れている。私たちはその模様をテレビ映像でしっかりととらえたのだ。
河野によれば、米国の最も所得の低い20%の層の1979年から2000年の間の所得増加が6.4%にとどまったのにたいして、トップ20%は、その所得を70%も増加させている。日本の現在と酷似していないか。

河野は、以上の米国社会にあって台頭してきている「アメリ原理主義」の実態を、多数のインタビューによって明らかにしている。原理主義は「聖書に書いてあることが歴史上起こった事実であり、そこに預言された通りのことが起きるとの信条を指す」、と河野は紹介する。つまり、「アメリ原理主義」は「17世紀に英国から新大陸に殖民した清教徒たちによる『われわれは特別の精神的及び政治的使命―新世界に教会とすべての国のモデルとなるような社会の建設―を担っている」という認識』(同175ページ)にさかのぼらなければならない。

9・11同時テロ以後、保守化はいっそう強まったといわれている。なぜなら、アメリカ人にすれば、17世紀の清教徒の「特別の精神的、政治的使命」はまさにテロリストの一撃によって見事に消失させられたからだ。アメリカの誇りはがらがらと崩れ落ちたのだった。だから、そこから原理主義転回に向かったのだ。一言でいえば、アメリカの保守化の進行の大本には、多様性の否定と排他がある。一方で、ブッシュ大統領と、ネオコンあるいは宗教右派との関係もことあるごとに取りざたされている。

このアメリカの現状は、私たちの内にある欲望―たとえば、それは「勝ち組」になりたいという意識―を映し出す鏡ではないだろうか。本書は、こんなことを考えさせてくれる。

*1:河野博子『アメリカの原理主義』(集英社新書