鈴木直『輸入学問の功罪−この翻訳わかりますか?』のこと


鈴木直『輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)』(ちくま新書)。
触手が動いた一つが「『資本論』の翻訳」という一章だ。そこに、マルクス資本論』翻訳文体をめぐる攻防戦*1が記されている。いくさを私は好まないが、翻訳の文体をめぐって、いわゆる知識人と呼ばれる人たちが自論を展開する様を想像しただけで、もう腰が落ち着かない。
資本論』の翻訳が以後、日本の知識人と日本社会に少なからぬ影響を与えたのは疑いえない。
攻防戦は、高畠素之による『資本論』の翻訳本がでたことが発端だ。この翻訳本は、高畠流の工夫がほどこされていた。当時としては、異端ともいえるし、別の言葉でいえば、それは異彩を放つものでもあったのだ。逐語的に訳すところにこそ当時の権威はあった。彼は「翻訳をなによりもまず商品と見なし、商品の質を購買者である読者の目から読み直し、批判的に検討」したのだった。ここに、高畠の天才があったのだろう。


だが、この一文からも分かるように、商品である翻訳本の質を決める要因の一つが、読者にあることを鈴木は指摘している。要するに、当時の西欧思想の受容の歴史が鮮やかにここに示されているといえるだろう。難解な哲学書経済学書の翻訳本を読者もまた、つくってきたのだ。「問題にしたのは、個々の訳者の力量とは別の次元で、この国の思想・哲学書の翻訳と受容を拘束してきた、いわば暗黙の共通了解の方だ」と鈴木がいうのはこのことだ。
マルクスならば、『資本論』は「なによりも労働者階級にこそ読んでほしいと願った」だろうに、日本の労働者階級ははたして不幸だったのだろうか?
鈴木の抑制の利いた文体が心地よい。

*1:「攻防戦」は、川上肇をはじめ青野季吉三木清が加わっている。