橋下という人物を駆動させるもの

人は何によって動かされるのか。もちろん毎日の仕事に追われるなかでは、ルーチンにそれを坦々とこなしはしても、あらためてこんなことを考える余裕はないし少ないのかもしれません。が、自分が突き動かされたときをふりかえってみると、そこに自分ではない人の存在があって、その人との何らかのコミュニケーションがかかわっていてそれなしにはありえなかったように思えます。つまり自分ではない人の存在を前提に動かされる。もちろんそのあり方は多様であったにせよ。

たとえば医師であったり、教師であったり、あるいは弁護士であるのなら、いわゆる社会的な使命感とでもいってよいものが駆動する力になっているように思えます。医師は、目の前に健康を害している人がいれば、すぐさま手をさしのべ診断にかかるでしょう。もうかなり時がたってしまいましたが、神戸の震災でもそうでした。いち早くかけつけた人たちの中に医師の姿がありました。東北の地震もやはりそうでしょう。教師ならば、人間の全人格的な成長をうながすという役割は教師という職業を選んだ人にとっては他にかえることのできないものではないかと思えます。付け加えるならば、政治家だって本来、社会的使命に裏打ちされて志すものではないかと考えたりもするのですが、これは現実には正直あやしい気もします。そして、弁護士であれば、人の権利が侵害されているとき、それを黙って見過ごすわけにはいかないだろうと思えるのです。

なぜって。弁護士法をながめたことは、ありますか。最近、気になってみたのですが、こう書かれていました。

(弁護士の使命)
第1条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

だから、弁護士はもともと基本的人権というものを擁護する、これが使命とされています。また、社会正義を実現すること、これもまた使命なのです。もっとも正義というものはそれぞれの人の価値判断がともなうので、なかなかこれが社会正義だといっても全員一致とはならないのかもしれません。しかし、基本的人権ならば、明瞭です。なにしろ日本国憲法にうたっているものなのですから。

この文脈で考えた場合、どうもしっくりこない現実が今、私たちの目の前に現れています。ツイッターで細切れに「政治論」をのべる橋下大阪市長
この橋下氏は、はたしてこれで弁護士かと思われるような、市職員の調査に乗り出したのはよく知られていることです。さすがにさまざまな批判をあび、結局、調査内容を破棄することになりました。が、そもそも弁護士であるはずの彼が調査をもちだすこと自体に、基本的人権の擁護を使命とすると定めている弁護士法に反するのでないかと、調査が明るみに出て以来、疑念をもってきました。だから、この問題はこれで一件落着という具合に終わってしまうわけにはいかない問題をはらんでいると考えるのです。

こうやって人の自由に踏み込み、まあ見方の厳しい人ならこれを蹂躙するとよぶのかもしれないことさえやってはばからない橋下氏ですが、こんなこともありましたね。彼も自由を主張するときがあるようです。その一例が学校選択制です。
その提案理由に橋下氏は、選択の自由をかかげました。しかし、これって、交差点を右に回るのか、左に回るのか、それを選ぶ自由とはいうまでもなくちがいます。選択の自由といっても、仮に学区制が廃止されどこでも選べる状況がつくられたとしても、たとえば経済的な理由で自分の進学する学校がおのずと決まってしまうケースだって考えられるはずです。そもそも選ぶ自由をいう以前に選択肢がない状況がある。
仮に選択制が実施されたとして、過当な競争が今でもあるのに加え、さらにいびつな学校間の選択の競争は激しくなり、その結果、いっそうの色分けができあがってくるというものです。氏の視野は市長ですからむろん市全体にむえられているはずのものなのですが、その結果できあがった教育地図をどのように今度は修復していくのか、問われなければなりません。後は野となれ山となれ、では片付かない問題となりかねません。

自由を語る橋下氏のなかでは、自由は競争と常に同義のものとして描かれ扱われていると考えてよいでしょう。氏のいう「自由」とは、あらかじめこうして排除された人びとを考慮に入れたものではなく、自由な競争のスタートラインに立てる者を慮っての話でしょう。この場合、彼にとっては選択から排除される現実より選択し競争できる環境をつくりあげることが優先されるようです。ようは競争の自由とでもいいましょうか。競争すれば、必ず勝者と敗者が生まれる。勝負がつく。彼は、この勝者が特別に好みのようです。
氏のそうした価値観がよく表れている発言がつい最近、伝えられていました。

大阪市橋下徹市長は2日、経済産業省国土交通省などの中央省庁の官僚から府市統合本部で勤務したいとの希望が多く寄せられているとして、府市への出向を認めるよう求める「親書」を両省などに送ったと明らかにした。
市役所で報道陣の質問に答えた。橋下市長は「エリート競争を勝ち抜いてきたメンバーが、『府市でいっちょやってやるか』と思ってくれたのはありがたい。省庁には出向を認めてほしいと手紙を出した」と述べた。
府市の二重行政解消や、関西電力への株主提案などを検討している府市統合本部では、元経産省官僚の古賀茂明氏や原英史氏らが特別顧問として参加しており、官僚の関心を引いているとみられる。(2012年3月3日10時41分 読売新聞)
橋下市長が親書「府市への官僚の出向認めて」

大阪市で働きたいと考えている中央の官僚が多数いるので出向できるよう便宜を図ってくれと要請したという概略なのですが、注目したのは、市長が語っているコメントです。「「エリート競争を勝ち抜いてきたメンバーが、『府市でいっちょやってやるか』と思ってくれたのはありがたい」と語っています。こういうときに常日頃の思想というのがにじみでるものでしょう。彼は差別・選別に寛容な姿勢をもっていて、それがこの言葉となって表れ出てきたというものでしょう。
結局、橋下氏の日常を支え、駆動させているのは、特定の層*1などへの非寛容と、反対に自分の是とする立場への徹底した寛容(身内に甘い)、これが一体となった思想だといえるように思います。

そして、この寛容と非寛容を具現化するのに時間をかけないことに彼はことのほか価値を置くらしいということも伝えられるところから判断できそうです。まあスピード感命みたいな姿勢ですね。これが、中央の政治の現状とあいまって、また有権者の支持を得る要因の一つにもなっているようです。
しかし、これは、別のメディアによれば、このスピード感がつづめていえば「民主的なような手続き」というものが中抜きとでもいえるような実態でもあったと指摘されるわけです。この毎日の記事は、手続き上、ツイッターを経由して多数の人たちからの意見をあたかも集約しているかのようにみえて、実は、それを形式として間に置くだけのことで決定は氏の頭のなか次第ということを末尾で皮肉として伝えるものにほかなりません。

このような決定の経路に矛盾をはらめばこそ、これまでもしばしば彼は前言撤回を表明せざるをえませんでしたし、先の調査指示問題でも結局は当初の振り上げた手を降ろさざるをえなくなったわけです。どうも彼はその後、顧問弁護士にすべてを丸投げし、この問題からの逃亡を図っているみたいですね。彼のいう「決定できる政治」の程度とは、しょせんこんな浅薄なものであって、そこをあたかも民主主義的な手続きをふまえたかのようにみせるところに狡猾さをみてしまいます。この姿勢はだから、彼が常々、口にする「民意が許さない」などを理由に、彼自身が描く特定の対象に対する執拗な攻撃(彼自身がこうよんでいます)を繰り返すのと表裏の関係にあるようにみえます。

橋下氏が有権者に受け入れられてきたのに、中央政治のはっきりいえばていたらくが一役かっていることは否めず、毎日の流れていくる情報にみなさん、うんざりするのが現実でしょう。既成の政治と政党に批判の矛先を向け、他方で新しい潮流の動向に光をあてるというのが、今日のメディアの姿勢であることも論をまたないと思えます。この繰り返しをまさに性懲りもなくメディアがつづけ、そのメディアこそが政治の関心とならざるをえない中に置かれている有権者は、テレビから、ネットからの情報をソースに政治の情景を描いてしまうという相乗効果がそこに生まれる。その結果、橋下と「維新」の支持がさらに高まるという具合に。

ただ、私たちはつぎのことも念頭においておかなくてはならないように思います。中央の政治のていたらくがいよいよ有権者の眼に耐えがたいものになったのは、やはり政権交代以後でしょう。政権交代は、小泉に期待したのにやはり政治がよくなるばかりが痛みを国民が襲い自民党政治はさらに混迷を深め、政権はかわったものの変わるだろうという有権者の期待が淡いものにすぎなかったという結果、今日うまれているものでしょう。政権交代という一つの政治的動機が変化をもたらすものではないと結論づけるとはやすぎるのでしょうか。私にはそうは思えず、根本には有権者の意識を反映しないような多数が形成される選挙制度をあわせて見直さなければ、同じことを繰り返す可能性が繰り返さない可能性よりはるかに大きいように思えます。おそらく「維新」が前進したとしても同じだろうと私は予測します。

大阪府橋下徹知事は29日夜、大阪市内のホテルで政治資金パーティーを開いた。
秋に想定される府知事、大阪市長のダブル選を「大阪都構想」の信を問う最終決戦と位置づけ、「トリプルスコアで勝たないと役所は生まれ変わらない」と気勢を上げた。「大阪市が持っている権限、力、お金をむしり取る」と挑発的な言葉で市への対抗心をむき出しにし、秋の陣に向けた動きを本格化させた。
約1500人を前に、橋下知事は「大阪は日本の副首都を目指す。そのために今、絶対にやらなければいけないのは、大阪都をつくることだ」と大阪都構想への賛同を呼びかけた。
会場の拍手に、橋下知事はさらに熱気を帯びた。
「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」「大阪市大阪府も白紙にする。話し合いで決まるわけない。選挙で決める」
最後は都構想に反対する大阪市抵抗勢力として名指しし、「権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくる。これが都構想の意義だ」と締めくくった。(2011年6月30日00時09分読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110630-OYT1T00014.htm

橋下氏を独裁とよぶ人も少ないない今日ですが、これは、彼が市長選に出馬する以前の政治資金パーティーでの発言です。むろん決起の場でもあることですから、語気を強めることが普通なのかもしれません。が、皮肉にも、彼自身が周りから批判される独裁という表現をもちい自身が語っています。それを単なるパーティーの席でのこととうけとるだけでは現実をみるかぎり、無防備とはいわないまでもまずい気がします。
それでも当分、この橋下氏に日本の政治はつきあわないといけないのはまちがいないようで皮肉なものです。

*1:労働組合、教師あるいは彼が「既得権益」を受けていると名指しした振興会、自販機を納入している指定母子福祉団体