政治はどこにむかうか。

明日、鳩山内閣が誕生することになっています。
これで、麻生首相自身は今後、首相と呼ばれなくなるわけで、そうなると、私のブログでは、麻生時代という名のカテゴリーは以後、エントリーは増えることはなくなるわけです。

麻生内閣とはいったい何だったのか、これを振り返ることはかなり難しいように思えます。悩んでしまいます。小泉純一郎以後、安倍、福田、そして麻生と信を問わずに内閣が成立しかわっていく事態は、まさに前代未聞なのでしょう。そこにこそ、結果的に自民党政治の立ち往生の姿が投影されていたと思えます。

自民党のとるべき道は限られている。安倍路線というものがあるとすれば、福田政権はこれを継承せざるをえない。私自身は、安倍政権自身が小泉政権を引き継ぐ新自由主義的「改革」路線をとらざるをえないという反面、小泉がもらたした社会の亀裂を手当するための保守主義的対応をとらざるをえなかったのだと考えてきた。福田氏でなく、麻生氏であっても、これは同じことで、安倍路線を引き継ぐことが必定であり、その引き継ぎ方のちがいでしかない。
福田政権のために敷かれた道

こう書いたのは、およそ2年前でした。
福田内閣を以上のような性格をもった内閣だと以前に規定したのですが、だったら、麻生内閣とはどのように形容することが可能だったのでしょうか。率直にいえば、それすらできないほどの、自民党自身がすでに追い込まれた状態にあって、外形的・形式的にようやく内閣を形成することができた、麻生内閣はその意味で、当初から断末魔的な存在を強いられたということになる、そう思います。ですから、彼は、表向きに「解散は私が決める」などと強がりと思えるような態度をみせ、主体性を強調してきたのですが、あにはからんや、主体性はどこかに飛び去り、選択の土地をどんどん狭めていって、ついには状況のなすがままに総選挙に突入したというわけです。麻生内閣の性格づけといってもこの程度のものです。自民党政権の、自民党復権するのかどうか今の時点では定かではありませんが、ひとまずお尻の内閣で、麻生氏はその首相だったというのは明確でしょう。

ですから、逆にいえば麻生氏のやったことは、特筆すべきものは、よい意味でも悪い意味でもないといってよいに等しい。何もできなかった内閣だということです。首相が仮に麻生氏以外の人物であったにせよ、こう断定できるような状況にすでに自民党が置かれていたと考えるのが妥当ではないでしょうか。

いよいよ民主党の政権が誕生します。
自民党政権にとってかわる政権をつくり出したという意味で、私は積極的な意味をそこに見出します。何よりも、政権を国民・有権者の手で変えうるということを実感したというところに、です。しかし、そういうためには、自民党(政権)とは、民主党が違うということが証明されてはじめて実感が確信にかわる。その意味で、民主党政権の担っている課題は、日本政治の将来を左右するようなものといっても過言ではありません。

もちろんのことですが、民主党・鳩山氏の周辺が世間の関心を集めています。
内閣の陣容がどうか、これしか話題がないとばかりにメディアはフォーカスをそこにあてます。でも、伝えられる内容は、誰がどこに就任するのか、ある意味でそわそわするような関心を沸き立たせるほどのものでは少しもない、というのが率直なところです。そもそも民主党の個々の議員の力なんかにほとんど興味をもっていない私ですから、なおさらです。
たとえば、名前をあげて悪いのですが、直嶋氏がどこに就任しようとたかが知れている、こう最初に思ってしまう。まあ、陣容といっても、無い袖はふれないのですから。
それ以上に、私は、組閣がどうであれ、国民・有権者のそれこそ主体性に期待をかけたいのです。だめなものはだめ、公約を守れ、マニフェストとにらめっこしながら、国民の役に立つ公約を実行に移させる手段を考えなければなりません。

巷間、小沢氏の存在がまたもやクローズアップされています。
小沢氏は政局に長けていると常々、いわれてきたわけですから、民主党の今後の実体が、小沢氏主導になろうとそうでなかろうと、小沢氏の権限の及ぶ領域が増すことは、逆にいえば国民・有権者の声に敏感な方向に動くだろうという推測、可能性がないわけではありません。

民主党の政権に託す、とまで言い切ることを私は保障する気にはなりませんが、民主党が国民の意識を、現実に相当に意識していることも事実ではないでしょうか。
事態はどのように推移するのか、皆目、分かりません。小沢氏の力が増して、上にのべた方向に必ずすすむということもまた、確信をもてるものではないでしょうが、民主党自身が今、国民の監視を意識していることだけは事実だと私は思います。
願わくば、その監視の目をさらに研ぎすますことです。そして、それをつぎの参院選での政党選択に結びつけるという重要な課題をほかならぬ国民・有権者が背負っているのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09189)