財源論− 聖域なしで議論しようよ。

「花・髪切と思考の浮游空間」に以下の記事を公開しました。
誰もが民主党政権を考えているようだ。。


総選挙の政策を支える財源をどうするのか、これが大きな争点となる。しなければなりません。表向きの「政権選択」選挙というかけ声も、この論点を問わなくては、つまりこれからの政権のやることを明確にしなければ、そもそも意味がありません。
昨日の6党党首会談も、自民・民主の間では財源が話題になりました。自民党民主党の政策の裏付けがないと、衝くべき急所のようにとらえています。
財源問題を朝日新聞がすでに、「にっぽんの争点」シリーズの第1回でとりあげています(16日付)。財源をどのように確保するのか、この点では、現状の税のとり方と税のつかいみちを根本からあらためることが必要だとのべてきました。
朝日新聞の記事もしかし、これまでの議論の延長にすぎません。
たとえば見出し。これ一つをとっても、すでに限界がみえてきます。「消費増税か 予算見直しか」というのですが、はたしてそうなのか。税のとり方は、消費税増税しかないのか。他に方法がないのか。これはまさに不問に付されています。これを私なんかは問題視しているのです。

もう一つは、見出しの後段にある。予算見直しにかかわって。論脈からすると、これは歳出の見直しを指すのでしょうから、ムダ、不必要なものを削るということになる。自民、民主の主張も点検しつつ、考えるのは、この点でも問われない、手を付け得ない部分が残されているということです。
朝日の記事は、自民と民主の以上のかぎりでの比較対照をおこなっています。けれど、肝心な上の2つの視点が欠落していると思うのです。朝日が欠落させている視点は、自民・民主が同じように「聖域」として手をつけていない点であって、朝日は両党にひきづられているのか、または同じ方向を目指しているといえましょう。私からみると、これまでの「聖域」を「聖域」として残しておくことが、二大政党政治の目的でもあるといえましょう。

戻りますが、まず第一の消費税増税は不可避なのか。不可避であるとする主張は、それ以外の税では税収をまかなえないか、見直しがありえないかを示さざるをえません。この点では、共産党が主張する法人税税率をかつての37.5%に戻すことも考慮に入れてよいのではないか。大企業や財界が現制度以上の税金を払うことが果たして不可能なのか。これと比較すれば、有権者・国民一般に現状以上の税金を求めることがはるかに困難なように私には思えます。たしかに世界的な金融危機の影響を受けたとはいえ、指摘されているように多額の内部留保の一部を取り崩すことは可能ではないか。そのとり方も、段階的に実施するなど、国民的な議論で決めればいのではないか。

二点目。ムダの見直しも同様に、自民や民主の案はちがいはあるにしても、たとえば米軍への多額な財政支出に手をつけていません。こういうところに手をつけないとどうなるか、結果的には、「子ども手当」をつくると民主党が主張していますが、増税になる世帯が少なくないことが明らかになっているような事態に。公務員の人件費削減も財源に回す予定なのですから。

財界・大企業と米国を「聖域」としてきたのが自民党政治なのであって、政権交代で、これをあらためられるかどうか、そこに将来は大きくかかわっています。かえることができなければ、税のとり方とつかみちは本質的にかわらないことを意味しますから、税のとり方では国民負担増を求める方向に、そしてつかいみちでは、国民・有権者の生活を充実させるのとは逆の方向にベクトルが動くでしょう。4年間の消費税封印もいいが、以後、それ自体が意味ないものになる可能性を同時にそれは含んでいます。
まさに軸足をどこにおくのかということです。

消費税増税以外にないのか、財界・大企業はこれ以上の税負担が不可能なのか、米軍への膨大な予算支出は断てないのか− この論点で有権者も、吟味してもよいのではないでしょうか。
これまで「聖域」としている部分は一切とりあげず、議論の対象としないという態度は、すなわち世論をミスリードすることを意味しています。
(「世相を拾う」09160)