世相を拾う(11月29日)

党首討論の決算書

私は以前に、安倍・小沢の党首討論をB級映画だと評したことがあります(参照)。今回も、この域を少しもでませんでした。
以前にもまして民主党政権交代などと強調しているものですから、自然とこちらの見る目も、では将来を託せるものかどうか、そこに焦点を置きたくなるのです。
その点からいえば、結論は、ノーでした。どちらにも私たちの将来を託せないと。

まあ、この党首討論をめぐっては、自民党側が討論を再三申し出て、民主党がこれに応じてこなかったと伝えられています。そんないきさつが醸し出す、もったいぶりは、あけてみると、大したことはほとんどなかったといえる。数日前のエントリーで、「信用できない」「チンピラの言い掛かり」などという言葉の応酬を、あたかも対決と勘違いしているかのようだとのべたのですが、結局、討論はその再来であったような印象です。
重箱の隅をつつくような。討論はそんなものではなかったでしょうか。

つまるところ、この2つの政党の党首の討論が迫力もなく、面白くもないのは、2つの政党のよってたつところにちがいがまるでないために、政局やいちいちの対応という細かい、ほとんど国民にとってはどうでもよいところに差異を求めようとする、そんな強調が討論でははっきりしたように思えます。

二次補正予算案を語るのはよいのですが、たとえば補正の根幹には、国民生活に軸足を置けるかどうか、がある。あるいは景気刺激策でも、真に国民生活を温めるために消費税減税など考えてよさそうなのに、2党からは一向にでてこない。それもそのはずでしょう。
そのためには、今の日本の政治のあり方をゆがめている大企業にたいする毅然とした姿勢が求められているのでしょうが、自民党はもちろん、民主党もそこは弱い。一例をあげると、日々、伝えられる派遣労働者の首切りにどのようにこの2党が対処したというのでしょうか。

党首討論がまったく面白くないのは、こうした背景が深くかかわっています。実際の政治の焦点は、自民、民主の国会でのやりとりとはちがったところにあるといえるのではないでしょうか。

ですから、とりあえず今回の党首討論の決算書も、以上の意味で赤(字)でした。プラス評価などは考えられないのです。
(「世相を拾う」08248)