世相を拾う(11月27日)

「花・髪切と思考の浮游空間」に以下の記事を公開しています。

競争だよ、世の中は− 橋下知事の言い分

競争だよ君、世の中は。
こんな調子で橋下知事はいうのでしょうね。

伝えられるところによれば、教育とは競争であるかのような橋下氏の発言です。
「子どもが将来の夢を実現するためには競争に耐える力をつけることが必要」ですって。
もっと凄いのは、

橋下知事は「競争できる子から競争を奪ってはいけない」と答えた(参照

とか。

ここまでくると、私には、経団連が、日本の人づくりと教育について、つぎのようにのべていたのを思い浮かべるのです。冒頭から競争命みたいな文章なのです、これは(参照;21世紀を生き抜く次世代育成のための提言)。これが、財界の考える日本の将来にむけた人づくり戦略なのです。一読いただいて、どんな感想をもたれるのでしょうか、皆さんは。

資源の乏しいわが国にとって、競争力の源泉は人材である。とりわけ、少子化・高齢化が進展する中で、活力ある経済・社会をつくるためには、国民一人ひとりが目的をもって生き生きと活躍することが必要である。
戦後の高度成長を可能としたのは、国民一人ひとりの高い勤労観と倫理観に加え、全ての国民に対して高い水準の義務教育が実現し、均質な人材が社会に送りだされたことであった。
これに対して、21世紀はIT化、グローバル化が進展し、情報が瞬時に共有化され、多様な価値観がぶつかり合い融合する時代である。その中で、わが国企業は、創造的な製品、サービスを供給することでグローバルに展開される競争を勝ち抜いていかなければならない。

これはまさに、橋下氏が強調するところと寸分もちがわないのではないでしょうか。競争を勝ち抜ける人材をつくる、これこそが教育だといわんばかりです。
ですから、「情報公開の原則」などをちらつかせて、学力テスト結果の公表を迫ることになる。点数競争の道を生徒に歩ませることになる。

じっさい、文科省はどんな立場をとってきたでしょうか。
文部科学省の実施要領は、「序列化や過度な競争につながらないよう十分配慮」「都道府県教育委員会は、個々の市町村名・学校名を明らかにした公表は行わない」などと明記しているのです。

だとすれば、結果公表はこの実施要領に照らしても問題だと指摘するのが筋でしょう。たとえば学力テストの結果の公表を求めている一人は財界です。日本経団連は「結果を学校ごとに速やかに公表する」ことを「重点的に講じるべき方策」の一つに掲げています。教育を点数至上の競争原理で染め上げて、安上がりに、従順な労働者をつくる教育にしようとしてきたといってよいと思います。

橋下氏はこれに追随しているにすぎない。
氏の政治的立場がここでも立証されているわけです。
ただ、財界・大企業のために。そこに、立脚点がある。

それは、例をあげれば、日本国憲法にたいする態度、あるいは道州制にたいする態度にも、鮮やかに表れているわけですけれども。

競争を謳歌したネオリベ。いまや米国の今日にまつまでもなく、その負の遺産は万人の共通の認識になりつつあります。自由競争の結果、社会にどんな影を落とすのか、米国に端を発したここ1年余りの世界経済の展開は、それを如実に示しているのではないでしょうか。

したがって、だから、記事で伝えられる人びとの発言に一縷の望みを私は見出すのです。こんな発言が出るうちは、大阪はまだ復元力をどこかに蓄えているのではないでしょうか。橋下の発言と対比のうえで。
(「世相を拾う」08245)