世相を拾う(11月20日)

麻生・小沢会談雑感

この二つの政党の関係は理解しづらいものが正直、ありますね。
伝えられるところによれば、両党の党首会談という名称に、昨日の二人のトップの話し合いがふさわしかったとは到底、思えるものではありませんでした。

そもそも密室の党首討論よりも、国会内の論戦で、両党の政策的なちがいを明確にし、しっかり議論を尽くすことが今、もっとも求められていることでしょう。世論は今の自民党ではダメだというのですから、野党は、政府・与党を国会論戦で追いつめ、世論を喚起し、解散・総選挙に追い込む、これが筋道ではないでしょうか。

党首会談は、民主党がいいだしたといわれています。
小沢代表は、分かりやすくいえば、補正予算案を出さないなら(新テロ特措法延長案の)採決には応じられない、出すのなら審議に応じるということです。

しかし、新テロ特措法延長案の審議について、解散の前提となる補正予算案提出を条件とするものにほかなりません。
新テロ延長案はそれくらいの重みのものでしょうか。あるいは逆に解散をかちとりたいがために、補正予算−その中身をどうするのかがもっとも重要なはずですが−、つまり国民の暮らしをいかに守るのかという課題すら、横においてよいということを表白したことにほかなりません。

自民党政権がいよいよ政権としての機能を果たせなくなっていることがさまざま露呈してきている。こんなときにこそ、野党を自認するのであれば、国会の論戦で堂々と自民党を追及してほしい。そして国民世論によびかけ解散・総選挙をかちとる。
これを国民は望んでいるのではないでしょうか。

小沢氏の麻生氏へのよびかけは、はたして国民の願いにこたえるものであったのでしょうか。
そうではない。
小沢氏は、論戦で追い込み、世論を見方にしてこそ解散がかちとれるということを忘れてしまったのです。

氏のやり方は、従来の政治手法よろしく、密室で、政局をにらみながら、法案の中身よりも、通すか通さないかというまさに党略を重視するものではないでしょうか。
そこに国民の立場がはたしてあるといえるでしょうか。
小沢氏は昨年の福田氏との大連立密室会談とあわせ2回目です。
それだけに、氏の党略的態度を強く感じるのです。
(「世相を拾う」08238)