世相を拾う(11月3日その2)

消費税増税が国家的貧困ビジネスだという意味

消費税増税が不可避なのか否か、これが大きな政治課題になってきました。
麻生首相の先だっての消費税増税公言は、消費税増税を争点にすることを意味しています。財源問題に即していえば、昨日エントリーでふれたように、消費税増税なのか、それとも聖域に手をつけるのか、これが問われているということです。

消費税増税は、これまでも社会保障のためという理由づけで増税されてきたのですが、結果はそうではなくて、社会保障が削られる一方でした。では、増税分はどこに消えたのか。繰り返し当ブログで言及しましたが、大企業の法人税減税分に消えていったのです。
社会保障は削減の対象になってきたのに、一方で大企業や財界のための優遇をつづけてきた。ここにこそ、今の自民党政治の本質の一つがあります。ここをあらためてこそ、自民党政治からの転換がはじめて実現するし、そのことが国民の苦難から解き放つ第一歩になると考えるのです。が、民主党の「政権交代」論にはこの青写真は入っていないようです。消費税に反対することも、ましてや大企業にノーといえることなどできないのですから。

消費税というのはその税の性格から低所得者の負担割合が高く、しかも、以上のような歴史的経過をたどったことを考えると、消費税の増税そのものが、貧困をさらに広げ、貧しいものはさらに貧しく、富める者はさらに富むように機能してきたことに着目せざるをえません。

以前のエントリーで湯浅誠氏が消費税は国家的な貧困ビジネスだとのべたことを取り上げました(参照)。その指摘は、この点に深くかかわっています。彼はこうのべています*1

貧困状態にある人の貧困を固定化して、それを食いものにするビジネスというのが、いま日本社会のなかで、いろいろな分野で生まれています。私はそれを貧困ビジネスと名づけたことがあります。サラ金はその典型ですけれども、労働の分野では日雇い派遣会社がそういうものです。
これは貧困状態にある人が働きにいって、どれだけ働いてもお金をためられないシステムになっていますから、そういうなかで貧困が常に固定化される。しかし、その一方で、利潤を上げる人が生まれてきます。
弱いものイジメをしつづけているいまの政治状況のなかで、さらに生活必需品などを除外することなく一律に消費税率のアップがおこなわれるのだとしたら、それはもう国家的な貧困ビジネスだとらえる必要があるのだと思います。

国家の財政を左右できるのは政治家です。どこにお金を回すのか、決めることができるのです。ですから、どの政党が政権をとるのか、それは税金のつかい方が決定される上で大きな意味をもってきます。つまり、政党がどの階層の要請を受けて結成されているのか、これが重要だということです。

消費税にかぎっていえば、どの政党が消費税増税に賛成しているのか、財源をどのように確保しようとしているのか、いわゆる聖域に手をつけられるのかどうか、これを見極めないといけないでしょう。それは、つまるところ政党が大企業にものをいえるのかどうかと深くかかわっています。
(「世相を拾う」08224)

*1:「消費税で福祉国家になれる?」p47*1