世相を拾う(11月3日その1)

追い詰められた麻生首相の30日会見

30日の麻生首相の追加経済政策は、いまの自民党政権がどこに軸足をおいているのか、あらためてはっきり示したものだった。いうまでもなく、それは大企業や大銀行、資産家にこそ焦点をあてた政策だった。その柱は、?設備投資減税、?海外子会社の利益の非課税、?証券優遇税制の3年延長、?株式の売却益や配当に対する税率の軽減にある。もっとも、首相の会見では、給付金が強調されたが、これはあからさまな選挙対策以外の何ものでもない。

給付金などに喜んでおれない。
大企業や大銀行対策も、この給付金も消費税増税を当て込むことが合わせて公言されたわけだから。むしろ、首相が3年後からの増税計画を明らかにしたことで、は消費税増税は、総選挙の争点になった。ばらまきも、その後にくる消費税増税で帳消しになるばかりか、国民負担が以後、いっそう強まるということだ。消費税1%引き上げで2兆5000億円の税収になるといわれているわけだから、1年かぎりの給付金など、まさに吹き飛んでしまう。
この点では、民主党も消費税増税を否定しないわけだから、自民党に対決する気もないし、できない。批判もできない。

財源問題では、消費税増税か、あるいは負担能力のある財界・大企業に応分の負担を求めるのか、いよいよこれが対決軸になる。

その総選挙の時期と国会解散について、あれほど解散の時期まで示し、シナリオを描いてきたマスメディアは、30日の首相の会見でもって、こんどは解散は遠のいたという論調で世論を誘導している。しかし、30日の首相会見は、これまで想定されていた10月30日解散がなくなったという一点を示すだけのことであって、それ以上でも、以下でもない。麻生首相は、これまでも解散の時期は自分が決めると繰り返していたが、年内解散が会見によって消えたわけではない。今の時期に、解散は遠のいたなどと推測する必要もない。

ただし、自民党自身が主体的にその時期を確定できる状況にないことも確かであって、米国発の金融危機が日本を襲い、これだけの景気悪化をもたらした要因が、外需だのみで、内需、国民の懐を温め消費を高める政策を軽視したきた、これまで自民党がすすめてきた新自由主義路線にあることも明らかだ。首相が自ら決めようと思っていた解散の時期が先延ばしになっているのはその反映である。それでも、追加経済対策では、いっそうの大企業や大銀行にテコ入れしようというのだから、ゆきづまりも深刻だといわなけれならない。

この間の国会内外のこうした状況は、自民党政治のゆきづまりだけでなく、民主党も、ではしっかりと自民党政治に対峙し、彼らのいう生活第一の立場に立てているのかといえばそうではないことを語っている。民主党も、右に左に蛇行している。ふらふらしている。自民擦り寄りが明らかにされたとたんに、こんどは対決姿勢を強めるといった。だが、口ではそういえても、対決することにはならない。先がみえている。

資本は自らを自己増殖させるために存在している。そのために動く。それが資本の論理だ。
そうした資本をしっかりけん制し、富を国民全体に回す、そのためにこそ政治はあるだろう。今日の日本はその機能を失い、その結果、貧困を広げ、いわゆる格差社会とよばれる社会を政治がもたらしている。その政治の機能を取り戻すかどうか、誰がとりもどせるのか、これが問われている。

自民党にその選択肢はない。麻生首相が消費税増税を公言せざるをえなかったのは、賭け値なしの対立がいよいよ避けられなくなっているからである。大企業や大銀行など支配層と国民の。
別のことばでいえば、区別もつかない二大政党と国民の間の矛盾としての。
(「世相を拾う」08223)