世相を拾う(10月1日)


「花・髪切と思考の浮游空間」に以下の記事を公開しています。

麻生所信表明演説を戯画化してみると。

総選挙が近づくにつれて、自民VS民主の抗争がヒートアップしてきました? メディアをみるかぎり、日本にはこの二つの政党しかないかのような両党の扱いぶりです。

http://www.asahi.com/politics/update/0929/TKY200809290168_01.html

私は選挙が近いか否かに限らず、自民党への批判はともかく、民主党の欺瞞を問題視してきました。欺瞞とは、あたかも庶民の気持ちに寄り添うかのように振舞いながら、結局は、いまの保守政治に決定的なダメージを与えるわけでもなく、むしろしまいにはそれを補完するような役割を果たしている、それしか果たしえないのではないかという疑念を十分抱かせるに足る、そんな民主党の言動で、それが気になってしかたないのです。


こんな角度から民主党の動向をながめると、あまりにもつっこみどころがありすぎる。あえていっておけば、私は民主党が仮に政権についたとしても、いまの自民党の政治から180度、転換する可能性は皆無に近いと予測するのです。予測以上のものではむろんありませんが、少なくとも180度変わるという確証を今の時期に断言できる人はほとんどいないといってよいでしょう。

なぜか。

麻生「集団的自衛権容認」発言に民主党は反対しないのか

国連総会のはじめての一般討論演説で、麻生首相は、集団的自衛権行使を可能とするよう見直すことを明言しました。日本国憲法に価値を置く者にとって、見すごせない重大発言です。氏の発言は、あらためて盟主米国にたいする忠誠を誓ったものといえるでしょう。各国が米国一国中心主義をあらためようとする国際世論のなかで、あらためて日本の米国追随ぶりを浮き彫りにしました。


http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY200809260073.html


麻生首相は25日夜(日本時間26日午前)、国連総会での演説後、記者団に対し、集団的自衛権の行使について「基本的には(憲法の)解釈を変えるべきものだと、これまでずっと同じことを言っている」と語った。憲法の解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認できるようにすべきだとの持論を説明したものだ。

 ただ、首相は「集団的自衛権の解釈を今すぐ直ちに変える必要はないと思う」とも述べ、当面は政府見解を変更しない方針も示した。

 集団的自衛権の行使をめぐっては、安倍元首相が置いた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)が憲法解釈の変更を福田前内閣に求めたが、棚上げされていた。衆院選の結果次第で、再び焦点となる可能性もある。

一方の民主党は、これをどうみているのか。
以下の記事によれば、その態度はなんとも歯切れの悪いものです。