世相を拾う(9月30日)


「花・髪切と思考の浮游空間」に以下の記事を公開しています。

小泉改革からの反転 − 財界・大企業の無法をただせ

小泉純一郎氏が引退するそうです。
今の日本の息苦しさをつくり出した要因に小泉カイカクという新自由主義施策があったと考える私にとっては、以下の理由から一つの終わりといえなくはない。
けれど、終わりははじまりであって、総選挙の結果しだいでその方向づけは大きく変わるでしょう。

およそ2カ月前に、こう書きました。

思うのは、戦後自民党政治が今、さまざまな面で国民の間との軋轢をうみだしているということです。
後期高齢者医療制度で、政府が制度発足まもなくして修正に修正を重ねていることにたいして言及してきました。たとえば、この後期高齢者医療制度にみられる再三の軌道修正は、五十嵐仁氏が指摘されている政策的破綻を端的に示すものでしょう(参照)。

氏はその上に、組織的瓦解が始まっていると見立てておられるわけですが、そうだとすれば、まさに自民党は末期的症状を呈しているということになる。自民党の政治はもういやだと考えている人にとってはこの上ない好機であると。こう誰もが考えるでしょう。

それならば民主党へ政権を、こう考えるのが、まさに二大政党制といわれる政治体制を志向してきた連中の思惑でもあったわけです。自民党がダメになっても民主党が引き継ぐという構図こそが想定されてきた。その条件は、旧来の自民党がすすめてきた政治と本質的に異なってはいけない。例を一つ引けば、自民党政治とは、税金のつかいみちに端的に表れているように、大企業・財界中心の政治でした。冒頭にふれたように日米の関係を他に優先させる政治だといえるでしょう。
この自民党政治の枠組みを継続させることが求められるわけです。周知のように、自民党は戦後これまで地方の中小企業・自営業者や農家などを支持基盤としてきたのですが、大企業・財界中心、米国追随をいっそう深化させた結果、自らの支持基盤も掘り崩すことにもなってきました。

この自民党政治の、大企業・財界、米国偏重の政治のゆがみは、ここ10年ばかりの小泉構造改革のなかで、さらに強調されてきたのではないでしょうか。
そのゆがみは、日本社会に貧困と格差を定着させてきました。たとえば所得の格差が広がっているという格差社会の理解がさらに発展させられて、社会のなかに少なからぬ絶対的貧困層が存在するという事実、貧困という問題に焦点が次第に絞られてきたととらえるのです。現代の貧困は、大企業・財界の最大限の利益確保を追求せんがための身勝手な雇用政策にみられるような、労働者を使い捨て状態に置くことによってもたらされてきました。ですから、大企業のボロもうけと労働者の貧困、ワーキングプアの存在は対になっているともとらえることができます。

この点で、東京新聞が2日つづけて社説で貧困と雇用問題に言及しました。遠い昔の『蟹工船』の世界が今日の日本、自らの生活に置き換えられ、重ね合わせられ読者の共感をよんでいるのは何とも皮肉なものですが、社説は、貧困と雇用環境の目にみえる改善が火急の課題だと指摘しているのです。

週のはじめに考える 『蟹工船』が着く港

日雇い派遣禁止 『非正規』削減に弾みを

貧困と雇用問題を、自民党政治から反転させることは、いまの政治の中心課題の一つと私には思えます。いうまでもなく自民党と同じ枠組みの政党ではそれを可能にしえません。
先日、2009年問題を前にキヤノン長浜が派遣労働を解消すると言明しましたが、それを実効に移させる、大企業や財界にたいする強い姿勢が必要です。反対に、今日の雇用の規制緩和路線をもたらすきっかけになった99年の派遣法の改悪で共産党を除いて野党も賛成した事実に目をつぶるわけにはいきません。

2009年問題の展開― キヤノンの場合

新党結成の意向が伝えられたり、与党のなかでも、民主党のなかでも、内閣改造や次期衆院選、党首選などをめぐってさや当てがはじまりまっていることが報じられています。
その上に、自民党の支持率低下とあいまって、次期選挙が政権選択選挙という強調が論調になってきました。

このふた月という短い間にも、首相の辞任と新内閣の誕生という、それ自体、自民党政治のゆきづまりを象徴する出来事が起こりました。冒頭の小泉引退もこれと無縁ではないでしょうが、それだけに今度の総選挙では新自由主義が問われなければならないと考えるわけです。

この記事が伝えるように、2009年問題が迫っています。2009年問題が問題としてあるのは、労働者派遣法の規制緩和による貧困と格差が深刻な問題となって以来の反発の大きさを反映しているからです。財界・大企業は無法のかぎりを尽くしてきたのです。

その意味では、政党選択の基準は明確で、財界・大企業にものいえる政党でなければならない。
小泉カイカクがこれだけ深刻な社会の亀裂をもたらしているのに、小泉の去就の一つひとつがいまでも取りざたされる日本からの反転、このための機会に総選挙をしなくてはなりません。




「朝日」は、民主党の思いを代弁するのか。。

と、まず推測してみる。
その理由は、以下の社説の主張にある。

公明党―なぜ「自公」かを聞きたい

単刀直入に、自公に固執するのか、なぜか、と問うているのだ。

政権を渡すか、渡さないのか、それはもちろん現在、権力の座につく自民党にとって横に置くわけいかない重要な問題だ。
自民にとって、単独政権に勝るものはまずないはずだが、長期低落傾向を免れえず、自公連立政権が今日まで続いている。当ブログでいう自民党政治のほころびがさまざまな面で噴出している現在、実は、自民党と手を組んでいる公明党も、将来にわたっての態度決定が迫られているといえる。自民とこのまま手を組み続けるのか否か、公明党の思案のしどころだといえる。