リーマン・ブラザーズの破綻・または・我が亡き後に洪水は来たれ

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我が亡き後に洪水は来たれ −リーマン・ブラザーズの破綻

この際、資本の論理が強いる言葉があるとすれば、これだろう。
我が亡き後に洪水は来たれ。

リーマン・ブラザーズの経営破綻の一部始終は明示的にこれを表しているのではないか。
過去にいくつかの危機に直面しつつも、それを乗り切ってきたといわれる同社だが、サブプライムローンの破たんで巨額の損失を抱えることになった。リーマン・ブラザーズは競争のなかで全米第4位という地位を築き、そして競争の中でその地位を失い、費えた。負債総額60兆円、米史上最大の企業倒産といわれる。


我が亡き後に洪水は来たれと先にいったが、1980年代をみると、国際金融市場の自由化がもくろまれた。投機マネーが国境を超え拡大する、いわゆる経済のカジノ化が促進された。リーマン・ブラザーズ社は、低所得層を巻き込み、だれも本当の価値が分からない金融商品を世界にばらまいて利益を吸い尽くしてきた。結果、そのしくみに自ら巻き込まれ、存在を自ら否定するに至ったのだ。

アメリカ経済のカジノ化は、このリーマン・ブラザーズにとどまらず、メリルリンチ(米投資銀行3位)の経営危機をもたらし、同社はバンク・オブ・アメリカに吸収される事態を迎えた。それだけではない。保険の世界最大手・米AIGなどの経営危機が表面化している。

気の早いスティグリッツは、新自由主義の終焉をすでに語っているが、彼のみならず、今日の事態は、つまり一連の米国の金融市場の危機はそれを予感させるに十分なものに立ち至っているともいえる。

いうまでもなく自由競争に任せた結果が今日の事態をもたらしている。考えてみると、サブプライムローンの投げかける問題が指摘されてすでに1年が経つが、いまだに現代の資本主義は、その打開のための解決策を見出しえていない。金融緩和の名で、たとえばサブプライムローン低所得者に犠牲を押し付け、利潤を最大限に追求するしくみだったといえるのだろうが、実体経済とは著しくかけ離れた金融投機に頼りつつ、ぼろもうけをめざしてきたのではなかったか。今日の事態は、その仕組みの中に潜むリスクについに自ら呑まれてしまった結果だといえる。

だから、一連の結果を考えれば、こう考えざるをえない。ようは、スティグリッツにまつまでもなく、新自由主義の破綻はいよいよ明らかになっているということだ。

日本に求められるのは、投機マネーの強い規制であろう。いつまでも米国の従順な僕として、追随する経済政策であってよいのか、その点も、総選挙の争点に浮上しているのではないか。
新自由主義的施策に、イエスかノーか、この際、徹底して各政党にたださないといけないだろう。
(「世相を拾う」08179)