山口二郎氏の「保守政治の歴史的限界」とは。


自民党総裁選に、名乗りをあげる者が相次いでいる。確実にメディアへの露出度は高まる。なので、自民党という政党も、一人ひとりの候補者名も、国民の脳裏にすり込まれることになる。小泉選挙以来、メディアの報道が選挙戦の勝敗を大きく左右していることを考えると、侮ることはできない。

山口二郎氏が、福田辞任後を語っている。


山口氏によれば、安倍政権以降の素描はつぎのようになる。

保守政治の歴史的限界


一年前はその安倍氏が突然政権を投げ出し、福田康夫氏が首相に就任した。そして今年は、福田氏も同じように政権を投げ出した。今回の退陣は、福田氏個人の問題ではなく、日本の保守政治の歴史的な限界の現れととらえるべきである。

戦後の保守政治は、外における対米追随、内における富の再分配を二本柱としてきた。この枠組みが揺らぎ始めたのは、冷戦が崩壊し、バブルがはじけた1990年代である。

 このころ自民党は政治改革の激震にも見舞われた。しかし、新党勢力が再編の過程でまごまごするのを尻目に、自民党は他党を巧みに引き込んで政権を維持してきた。そして、改革を看板とした小泉政権の段階で、富の再分配による国民統合という伝統的手段を自民党は放棄した。

 安倍政権では、憲法改正という政治的争点を軸に新しい国民統合の手法を試みたが、あえなく挫折した。

 その後を襲った福田氏は、結局統治の基本構想を持ち合わせていなかった。小泉路線を継承して経済競争の徹底を進めるわけでもなく、安倍路線を継承してナショナリズムを鼓吹するわけでもなく、昔のような地方と庶民に優しい保守政治に回帰するわけでもなかった。

 この秋の経済対策をめぐる綱引きの中で、福田氏が自分の考えを明確にできなかったのはその現れである。

このように氏は、いわば戦後の自民党政権を俯瞰する。あえて山口氏は、自民党政治とはいわず、保守政治とよび、その保守政治の限界を指摘している。
けれど、氏のいう保守政治に、政権を争っている民主党は入らないのか。少なくとも、上記の俯瞰にもとづけば、民主党もまた、この枠組みの中に入るのではないか。入れても違和感はない。
むしろ、山口氏の文脈にそっていえば、「バブルがはじけた1990年代」にこそ、いまの自民、民主のいわゆる二大政党制の確立を、保守側が追求してきたことを忘れてはならないだろう。

政治の場面で以上の転換が図られたように、経済・産業構造の面でもダイナミックな転換が図られた。

このなかでこそ、非正規雇用という形態が増大した。グローバル化にともなう大規模な産業構造の転換といえるのだろうが、先進諸国の多国籍企業は、こぞって生産拠点を労賃の安い後発諸国に移した。だから、国内では、当然のようにサービス職種の比重が高まり、繁閑の変動が著しいサービス業にとっては、短期間で集中的に労働力を投入できる雇用形態として非正規雇用に置き換えられてきたのだ。同様に、製造業においては、製造ラインを頻繁に変動させる多品種少量生産では、非正規雇用が使い勝手がよいということになる(*1)。

このように、新自由主義的施策と産業構造の転換と、自民・民主の体制がもくろまれてきたのが軌を一にしているのは偶然ではない。あえて山口氏の言葉を借りて、より正確に表そうとすれば、「二大政党をめざした保守政治の歴史的限界」といわなければならないだろう。

だから、以上の若干の歴史的ふりかえりで民主党の出自はもう明らかなのだけれど、実際にも、国会のなかで、民主党はたとえば労働者派遣法の改悪にたたかうことがなかったばかりか、賛成したわけである。
山口氏は意識的に保守政治の枠組のなかから民主党を消去している。

政権交代は国民の悲願」とするコメントを頂戴した。これに私は、こう応えた。

「対結軸をはっきりと国民に示し、自民党の長年の政治とはこうちがうんだという明確な提起」があってしかるべき、なのに、それを示しえない。ここが「政権交代論」の最大の弱点でしょう。これを、民主党はたとえば代表選で明らかにすることもできたのに。

結局、自民党のなかの派閥間の総裁争いと区別することはむずかしいのではないでしょうか。ようは、民主党は「政権交代」のただ一点で「結束」しているようなものですね。

政権交代」が「国民の悲願」なのであれば、それが、小泉に勝たせた国民の判断とどうちがうのか、この説明がいるのでしょうけれど。
国民は「(現状から)変わってほしい」とは思っているでしょうから、なおさら民主党はこう変えるというべきでした。


先にのべた歴史的ふりかえりが間違っていないとすれば、自民党総裁争いと自民、民主の間の「政権交代」も、まさに顔だけかえて体は同じということになる。