展望示せない総裁選


総裁選でみえてくるもの。とりあえず以下の2つ。

メディアを使っった、自民党への支持率回復の機会に位置づけられている。連日の報道は加熱しっぱなし。もっとも大事なのは、自民党の政策、少なくとも首相候補が国のかじとりをどんな方向で考えているのか、これが焦点にされてしかるべきだと思うのに、話題にされるのはファーストレディはどっちかなど、どうでもよいことばかり。メディアが日本の政治レベルを左右しているのが手にとるように分かる。要は、メディアの世界を総裁選一色にして、自民党への関心はいやがおうでも高まる。してやったりということだろう。が、思惑どおりにうすむのかどうか。
情報の操作は常態化、どこでも、いつでもそうだと感じないわけにはいかない。

2つ目は、参院選の結果と直結する総裁選だから、もとより「政治とカネ」問題をどうするのか、候補者には明確なビジョンが必要だった。でも、2人とも「政治とカネ」問題も、ましてや改憲についてもふれようともしない。そのほかのテーマでも2人の間にちがいはない。
どちらがなっても、小泉政権のあとの安倍政権に課せられた任務をおそらくそのまま引き継がざるをえないところに自民党の深刻な実態がある。安倍政権は、小泉「構造改革」を継承しつつ、一方で社会統合のための新保守主義的な対応をとるように求められた。この2つの拮抗関係の上に安倍政権はあった。2人の候補者のとる選択肢もこれを基本線で踏襲することになる。ただ、そのやり方は急進的ではなく、漸進的なやり方の程度のちがいくらいのものだ。
自民党のかつての「復元力」はおよそ衰退したようである。同党の政策的な行き詰まりがみえるように思える。まあ、2人とも国民にむかって展望を語れない事態にある。だから逆に、新しい政治状況が開かれる可能性もまたあるということだ。