価値観と外交


旧聞になるかもしれないが、価値観外交という考えが現われ、議員連盟までできてしまった。安倍晋三氏が辞意を表明したので、その議連の雲行きもいまは定かではない。だが、価値観外交というのはありか。
たとえば、古屋圭司衆院議員*1は議連発足集会*2でいった。古屋氏はこう語っている。「外交は切り口だ。もう一つの趣旨はこれらの『価値』の根底に相通ずる真の保守主義にある」。皇室典範問題、靖国参拝改憲手続き法、民法772条の300日規定などなど。これらの課題をあげ、「理念、政治信条で直結する問題で同じ価値観をもつ同志を糾合し、速やかに行動する」とのべた。
古屋氏の語るところは一つの価値観に貫かれているが、敷衍して考えると、価値観外交とは、同じ価値観の国同士の外交のことをいうらしい。これなら、外交にあらず。一つの政治的ブロックづくりにほかならない。
価値観外交議連の主張から察することができるのは、対中国ブロックがねらいということだ。

そもそも価値観をかかげて外交ができるのかと疑問に思うのは、つぎの理由からだ。
深刻な対立をもたらしかねない価値観を互いがかかげる事態を避けて、可能ならば平和な社会を築き、人間らしい社会生活を送る選択肢もまたあるからである。この意味で何が正しいか分からない状況もありではないか。
どんな価値観を抱こうとも、限られた地球という「空間」のなかで、資源を配分し、それを活用しようと思えば、それぞれにとっては絶対であるかもしれない価値観を一端は横に措いて、議論のテーブルにつかざるをえないと考えるのだ。
比較不可能なのである。だから、同じ価値観を共有する者だけを視野に入れる、入れようとする考え、つまり他者を排除しようとする考えには徹底して抵抗しないといけないのだろう。

*1:価値観外交を推進する議員の会」会長

*2:07年5月17日