To err is human;安全とは何か


以下の報道によれば、ミンチ偽装もワンマン体制に主因があるということだろうか。

ワンマン社長「混ぜれば逆にうまくなる」 ミンチ偽装(朝日新聞6・25) - goo ニュース

「雲の上の人だから、何も反対できなかった」。ミートホープ社の工場長は、田中稔社長についてこう語った。創業社長のワンマン体制で、様々な偽装に手を出したミート社。その「錬金術」の解明に、道警が乗り出した。
ミート社の元役員らによると、幹部社員らが数年前、田中社長から肉の塊を食べさせられ、「何の肉か分かるか」と尋ねられたという。豚や鶏など様々な肉を混ぜて最後に牛脂を入れ込んだ肉だった。牛肉の味しかせず、素材を言い当てた社員はいなかった。田中社長は満面の笑みで「混ぜてしまえば逆にうまくなる」「発想力だよ、発想力」と言ったという。
そんな田中社長は、問題発覚後、言を左右にして事実や関与をなかなか認めなかった。自らの指示を認めたのは、4回目の会見。「本当のことを話して下さい。お願いします」。そばにいた長男の取締役に促されて、初めて「指示した」と認めた。

確かにテレビを観ていると、そんな雰囲気はうかがえるものだった。
この見方にそって考えると、事業者のモラル・ハザードということになるのだろうか。この際、では行政はそれを放置してきたのではないか、こんな疑問も沸いてくる。


高度成長期をふくめて消費者側からすれば幾多の消費者被害にみまわれ、その被害の根絶と消費者利益をどうやって擁護していくのかが課題となってきた。消費者保護基本法もこんな中で制定されてきたいきさつがあると理解するわけである。
しかし、BSE汚染牛やO157、雪印の食中毒事件、食品偽装表示、三菱自動車リコール隠しなど、生命や健康にかかわる多種多様な重大被害がその後も続発している。


To err is human。これを前提にして考えないとならないのではないか。ようするに、過ちは世の常、人は過ちを犯すのだ。今回のミンチ偽装の場合、社長の言葉が報道どおりだとすれば偽装を当然とみる「確信犯」ともいえるものだろう。
これを決して弁護しようと思いませんが、事業者の安全管理責任をあいまいにしたまま放置する行政の責任はやはり厳しく問われる必要があると思う。
そして、事業者のモラル・ハザードに一因があるとすればなおさら、たとえば農業や食品の分野で規制緩和を推進するという今日の施策は、それを逆に後押し、アクセルを踏むものだと私には思えてならない。


過ちは世の常といいました。人の安全にかかわる大事故や事件が起こるたびに「安全神話」について、繰り返し語られてきた。
医療行為は、この意味では人の安全に最も深くかかわるものだ。そして医療もまた、リスクをともなう。本来、不確実なものだと思う。
しかし、私たちの社会は医療にたいして過剰な期待を抱いているのではないか。だから、その期待が裏切られ、「神話」が崩れると、往々にして私たちは攻撃的になるのではないかと思う。
私たちは、医学は万能で、適切な治療を受ければ、死を免れる、医療にはリスクはあってはならず安全でないといけないと考えがちだ。
おそらく、これは医師の考え方と異なるだろう。
いま医療倫理の大事な考え方としてインフォームド・コンセントがあるが、患者と医師の考え方の違いをうめていく接点となるものだと考える。


医療の現場からすれば、事故を防止するために、さまざまな安全対策をやっている。しかし、それでも事故は起こる。発生を高める最も大きな要因は、現場の多忙な実態だろう。それを少しでもあらためるには医師をはじめ医療従事者の体制を厚くすることだ。
医療の安全の点では、その責任が政府・厚労省にあるといえる。



◇「花・髪切と思考の浮游空間」の記事の表記を一部あらため再掲した。