「政教分離」をトルコの政情不安から考える


政権を揺るがしかねない事件続出のなかで、政府提案の法案が次つぎに国会を通過する異常。いくら数の上で圧倒しているとはいえ、尋常ではない。
週刊誌でも、「自公連立“安倍暴走”政権『創価学会選挙』は違憲? 合憲?」などというタイトルで、この国会ですでに強行採決14回といわれる国会の異様な審議ぶりを伝えている(『週刊現代』6月23日号)。
この背景には国民の怒りと不安を掻き立てた「消えた年金」問題が浮上して、支持率も急落し、危機感をつのらせているのだろうか。まるで、ブレーキの利かなくなったポンコツ車のようだ。
自民党の内部からはきしみの声も聞こえてきます。が、連立の相手、公明党はどうなのか。むしろ、暴走に手を差し伸べているような感じさえもつ。


その公明党も、苦しい立場に立たされている。数かずの悪法成立推進に手を貸し、そして6月、国民のみなさんのもとに届いた住民税通知が追い討ちをかけました。定率減税廃止の旗をふったのは同党なのだから。


公明党は、参院選をどのように乗り切ろうとしているのだろうか。政教分離などどこ吹く風、いっそう創価学会と一体になってたたかうということのように推測される。
たとえば、それは、「朝日」投書欄にはこんな指摘が掲載されたことからもうかがえる。
http://25oclock.blog.shinobi.jp/Entry/158/(25 o'clock)
このエントリーには、あわせて創価学会の紙上座談会も紹介されている。実に品のない議論。


5月、トルコが政情不安に揺れました。争点となったのは、「政教分離」のあり方だった。トルコは、建国の父といわれるアタテュルク以来の世俗主義政教分離)を引き継ぐといわれる軍と公正発展党との間で現大統領の後継者の選出をめぐって対立した。軍の「介入」という、表面をみると複雑な様相にも思える抗争だが、「政教分離」という一つの理念をめぐりこれだけ議論が広がったことにやや驚いた。EU加盟も視野におくトルコだから、ヨーロッパ圏がいかにイスラムを受容していくか、というもっと大きな課題もあるようである。


そこで、この問題が起きたときに、日本で「政教分離」がかつて議論されたものの、宗教団体と親密な関係をもつ政党が政権与党として収まっている今日、この問題がそれほど語られないことだ。言論弾圧事件で世論の厳しい批判を受けた当時の公明党は、政教分離を公に宣言した。しかし、いまやそれを投げ捨て、学会名誉会長が激をとばし、事実上の選挙戦の陣頭指揮をとる事態が報じられている。


やはり、同党が政権についている今の時期に、そうであるからこそ、政教分離について議論されなければならないと考えるわけである。だが、メディアには、やはり「鶴タブー」が厳然としてある。重たい課題にちがいはないのだが。
そして、宗教法人の非課税問題。非課税措置を宗教法人が受けたとしても、収益部門では税金は払わないといけないのだろうが、適正に課税させているかどうか、以前から創価学会に関しては疑問視する声がある。これを明らかにする必要があるのではないか。いったい創価文化会館が全国にどれくらいの土地を占めているのだろうか。同会の墓園事業は、まさに収益事業ではないのかどうか。国民の前に明らかにされないといけないのではと思う。


政権を「靖国派」と創価学会と一体の政党が構成する今、政党と宗教の問題に無関心でいることはできない。



◇「花・髪切と思考の浮游空間」の記事の表記を一部あらため再掲した。