改憲反対ならば鳩山支持はない。


さながら民主党代表選は国民の行事といわんばかりのNHKの扱い、報道姿勢を当ブログでは取り上げました(参照)。その結果、選ばれたのは鳩山由紀夫氏でした。
鳩山党首の誕生を現在の日本の政治状況とを重ねてみて、率直に懸念を抱かざるをえません。政治状況とは、海賊法案の衆院通過、そして憲法審査会の審議入りのための条件整備などであって、それらをくくってしまうと、私からみると、一つの方向が定められているように思えるのです。そう、改憲への道。そこを歩みはじめているような気がしてなりません。

以前に安倍晋三が「美しい国づくり」を唱え、改憲を明確に視野に入れて動き出したとき、少なくともブログの世界では、反安倍の主張は無視できないほどの勢力を保っていたといえましょう。少し立ちいってみると、たとえば、安倍(政権)を終わらせようという一致点で結びついていた一つの集団は、一致点そのものが「政権交代」を前提にしていたわけです。しかし、安倍はダメで一致しているけれど、では、その「交代」のありようについて一致しているかといえばもちろんそうではありませんでした。だいいち顔がかわるだけでも政権交代なのですから。
本質的に前政権と新しい政権のどこがちがうか、ちがわないか、そんなものは関係なく、とりあえず安倍に辞めてもらうことに結果的に成功したのでした。それから、以来3代にわたって政権交代はおこなわれたわけですが、国民の信を問うことなく自民党(自公)政権のまま今日にいたっているのは周知のとおりです。この間、しかし、ふりかえれば重大な出来事があった。有る意味で歴史的な事件だとも私は考えるのですが、そうであったはずの福田・小沢の密室協議と、その結果の、日の目を今日までみなかった大連立構想なるものが浮上したのでした。これは、のちにのべるように今日の民主党の指導体制と深く結びついていると私は考えています。だが、いまや、そのことも日本全体が忘れ去ったかのようにも思えます。その小沢氏は今後も隠然たる影響力はもつだろうと推測されているのですが、すでに民主党党首の座を鳩山氏に譲りました。そして、当時の首相・福田康夫も陰が薄くなって、後景に追いやられているのが今日でしょう。
そして、先にのべたブロガー集団はどうかといえば、雲散霧消といいきると言い過ぎでしょうが、キャス・サスティンが説いたように、相互分裂を避けることはできなかった。サスティンはこの現象を集団極化(参照)とよんだのですが、この集団の今日はまるでサスティンの理論の典型をそこにみるような実態ではないでしょうか。散り散りになっている現状がある。そういってもまちがいではないでしょう。

当時の安倍(政権)を終わらせようという意思は、現下でその可能性はどこにあるのかという意識に結びつくと考えるのが一般的でしょうから、そうすると政権交代可能な政党として民主党が浮かび上がる。そして、そうした意識がいよいよ研ぎ澄まされていくと、いつの間にか小沢一郎崇拝に連続する。何が何でも小沢一郎。一時期のブロガー集団のオピニオンリーダーとも思える人物はほとんどその言説がこれ以上のものでななかったように思います。小沢の「豪腕」が喧伝されればされるほど、その傾向はより鮮明に、鋭くなっていったといえましょう。分かりやすくいえば、政権交代は小沢で、小沢なしに政権交代はありえないと、かつての安倍を辞めさせよの主張が置き換えられたのでした。さらに、この筋書きに反対するものは、すなわち自民党=「敵」を助けるものにほかならないという言説までが闊歩するのもこの時期でしょう。

自民との大連立を企んだ小沢は、自らの政治献金授受によって、代表の座を追われることになりました。研ぎ澄まされた政権交代至上主義は、小沢一郎あっての「交代」でしたから、すわ一大事、小沢に仕掛けられたととらえ、国策捜査とまで断言した。国策そうかか否かは検証されるのでしょうが、現実にきわめてワイロ性の高い多額の金を受け取っていた事実を小沢自身が否定しているわけではありません。彼がいったのは、何もやましいことはないということでした。

あえてこうよぶとすれば、ブログの世界で政権交代を志向してきた人びとは、安倍を辞めさせる→それが可能なのは民主党による→それを可能にしうる人物は小沢→小沢疑惑は国策捜査、という単純な展開が思考されてきたのでしょう。
むろん疑惑の全体像が報道されるにつれ、国民の小沢にたいする反発が高まり、これに抗し切れずに、小沢辞任、民主党代表選というシナリオが準備され、鳩山新党首が誕生したのでした。

ずいぶん遠回りをしましたが、鳩山由紀夫という人物が民主党党首に選出されたという厳然たる事実がここにあります。
冒頭で、改憲への道を歩みはじめていると懸念を私はのべました。
そう思う、最も大きな理由は、鳩山由紀夫自身が明確な改憲論者だからです。彼の素性を少しだけたどっていくと、それは歴然としています。
中曽根康弘元首相を会長に「新憲法制定議員同盟」が結成されたのは08年3月です。その際、民主党を代表して参加したのがほかならぬ鳩山由紀夫です。
鳩山は、就任挨拶の際、友愛ということをもちだしました。それは彼の祖父、鳩山一郎のものだといわれています。いうまでもなく鳩山一郎は明確な改憲論者です。
つけくわえるならば、改憲論者の安倍に反対するのであれば、改憲論者たる鳩山由紀夫にも反対せざるをえないでしょう。ところが、ブログの世界では、安倍(政権)を終わらせようと主張してきたブロガーの一部は、改憲論者・鳩山由紀夫に異を唱えるどころか、過去の主張すらどこかに置いてきたかのように賛成の態度をとる。この点を非国民通信が鋭く衝いています(参照)。

こうした背景をもとに考えるのは、改憲勢力改憲をするために必要な条件、つまり国会議席の3分の2を維持しなくてはならないということです。安倍政権が参院選で敗北した際、読売は「もはや大連立しかない」という社説を掲げましたが、それを受けて先にのべた福田・小沢の大連立構想が浮上したのでした。
小沢秘書逮捕以来、それまでの「政権交代」至上の風向きがかわったことは事実で、今、政治が動いているという状況ではないでしょう。つまり、大連立でしか政治が動かない状況が逆につくられているといえないこともない。
鳩山の代表就任はこんな条件になかで生まれたといえるのではないでしょうか。