憲法を守るという道


憲法集会での大江健三郎氏の講演のもようが新聞で伝えられていました。氏はその中で、加藤周一の生前の言葉を引用しています。加藤は、日本の進む方向として以下の3つの道があるというのです。

この3つのどれを選択するのか、それが国民につきつけられている。最終的には国民の投票で決まります。

日本の法体系は、おかしなもので、日本国憲法日米安保条約という相反する2つの体系が並存しています。憲法の規定とはかかわりなしに、安保条約にもとづく日米の関係が強調され、国際政治の舞台では日本の主体性は微塵も感じられないほど、従属的な態度に終始しているのが現実です。日米同盟という言葉がいまや、何の疑いもなく、当たり前のようにマスメディアで使われている時代です。
そして、9条をもちながらも、直近の海賊法案にみられるように、解釈を少しずつ拡大していき、事実上、違憲状態が広げられています。仮にこれを安保条約下の違憲状態とよぶとすれば、加藤のあげる3つ目の道は違憲状態を広げる方向に道が開かれているでしょう。


加藤のあげた1ばん目は、最近の坂本剛二発言などが主張する選択肢。北朝鮮のロケット発射は、発言を誘引するきっかけに結果的になりました。こんなふうに。

北朝鮮が核を保有している間は、日本も核を持つという脅しくらいかけないといけない

現状に甘んじ、違憲状態を重ねて広げていく方向でも、敵を想定し核武装する方向でもない道を選ぶには勇気が必要です。憲法を守るということは、けっして現状にとどまることではありません。すでに、なしくずしに憲法に違反する事態が個別におしすすめられているのですから。日本国憲法に照らし、それに反するのか否か、これを基準にみてみなければなりません。憲法が権力をもつものに「守らせる」ものである以上、守らせる側の国民がつねに憲法から逸脱する行為を監視し撤回させなければならないというわけです。

憲法を守るということは、すなわち憲法を遵守させるという国民の主体性を前提としている、ようはたたかうことなしに憲法は守れない、そう加藤は語っているのではないでしょうか。