カネとの関係を断ち切れない日本政治


多くの人にとっては新聞やテレビ、せいぜい雑誌でしか国政の動きを知ることはできません。
政権の支持率があれだけ続落していたのに、最近の世論調査の結果によれば、盛り返しているようです。対照的に、民主党はどうやら小沢氏に近いところからも、辞任やむなしという声が日に日に高まっている様子が、メディアから伝わってきます。たとえば、以下の記事のように*1


「小沢氏を何が何でもかばうのか」民主・渡部氏、鳩山幹事長に
民主・岡田氏「違法献金事件、小沢代表は更に説明を」
岡田氏ならずとも、誰もが説明すべきとこれまで思ってきたのでしょうが、小沢氏は口をつぐんだままでした。そうした対応そのものが様子見といえばいえないこともないのでしょうが、氏は政党の党首という立場なのですから、国民にとっては、だんまりを決め込むことはマイナスと受け止められたといってまちがいはないでしょう。少なくとも、この対応が民主党を取り巻く情勢を好転させたとはいいがたい。「政治とカネ」をめぐる問題の当事者であって、しかも一度ならず短くない期間に多額のカネを受け取っていたという事実があるのですから。
党内からもれてくる辞任勧告ともいえるような以上の発言自体が、有権者の厳しい反応を鮮やかに反映しているといえましょう。今後、この方向で加速されていくと推測されます。

「政治とカネ」にまつわる疑獄事件のなかで自民党が敗北し、いったん下野しました。そこで持ち出されたのが、1993年からの財界からの献金斡旋の中止でした。だが、これも今や、おおっぴらに復活。経団連が通信簿をつけ、財界のいうままの政治が可能なように、献金で政党をコントロールする事態に至っている。嘆かわしいと思いませんか。こうしたカネを利用して現実の政治をゆがめていく方法が是とされているのですから。

この財界からの献金斡旋の中止は、額面どおり企業からの献金の廃止をめざしたものではありませんでした。なぜなら、献金斡旋の中止と同時に登場したのが、政党助成金小選挙区制でしたから。そのときの言い分が笑わせます。「コーヒー一杯の政治」「民主主義のコスト」のふれこみです。安上がりの政治と、それを支えるために税金を使うというわけです。白鳥令などは以来、民主主義のコスト論をぶっていて、政党助成金にたいする批判が出ると、国が主張してきたのが、この民主主義のコスト論でした。つまり、政党は議会民主制において不可欠の存在であり、その担い手である政党は公的機能を果たしており、そのコストとしてその政党に助成してしかるべきというものです。

これほど馬鹿げた議論は、しかし、ありません。
政党自身は、いかなる国家機関でもありません。あくまでも私的結社にすぎないものです。

政党は、政策を掲げ、国民に訴え、その政治的意思形成に影響を及ぼすでしょう。また、そうでなければ政党としての機能を果たしているとはいえません。しかし、同様に、国民もまた、さまざまな社会運動で、たとえばメディアや労働組合、NGO活動などのようにさまざまな影響力をお互いが発揮しているといえるでしょう。
政党がこれらと異なるとすれば、今日、議会制民主主義をベースに政治がおこなわれている以上、選挙に候補者を擁立し、議会に進出し、大小の権力を担うことをめざすという点にあるでしょう。権力の担当者となることを目標とするところに求められるでしょう。
したがって、政党が公的機能を果たしているからそのコストを払う、しかも国民の税金で支払うという考え方そのものに無理があるといえる。

政党助成金は1995年から2009年まで総額4410億円に達するといわれています。のべ25の政党にばらまかれています。ただし7割は自民党民主党が占めています。国の言い分でいえば公的機能を果たすはずの政党ですが、この間、消えた政党はいったいどれだけあるのか。
自由党、保守党、自由連合無所属の会第二院クラブ新進党社会党新党さきがけ民主改革連合平和・市民新社会党市民リーグ、太陽党、自由の会、新党平和、さきがけ、民政党新党友愛が消えていきました。
これらの政党の結成、または離合集散は、国民・有権者の意思を反映したものでしょうか。そうではなく選挙(議席確保・資金)対策であって、結局、政党とは国民のためのものではなく、カネのためといわれてもしかたがありません。

一方で、上記の経過をたどって企業献金が解禁された今日、大手ゼネコン20社が自民党献金した額だけでも合計39億円になるそうです。民主主義のコストなどといって、国民の税金を政党に環流し、企業献金でまた政党に環流する。しかも、その企業献金が公共事業受注と密接不可分の関係にあるのですから、二重に国民の税金が政党に環流しているとみることもできる。

国民のためにといって、「政治とカネ」を断ち切るといって、献金斡旋の中止が一度はさけばれ、政党助成金が取り入れられてきました。しかし、そこに貫かれているのは、「政治とカネ」の切れない関係が温存されているということです。党首が当事者であって、厳しい批判にさらされている民主党でさえ、とどのつまり企業・団体献金の全面禁止は打ち出せはしなかった。この「冷厳な事実」を直視しないといけないでしょう。本気で「政治とカネ」を解決する意思は政党助成金をもらっている政党にはないと私は考えています。
「政治とカネ」問題では、まず企業・団体献金の全面禁止に立脚すべきです。

ここにきて、世襲制限という変化球がもちだされています。前回のエントリーでこれにたいする私の考えは尽くされていますが、何も改善されることはない。
世襲であろうとなかろうと、自らの思想・信条に合致しない候補者も、政治家としての資質を有しない候補者も、選ぶのも選ばないのも有権者が決めること。むしろ政治は、有権者の意思が明確で公正に反映されるようなシステムをつくりあげなければなりません。

その点では経過をたどってみることも必要です。政治的な意思形成は政党・政治家だけで完結するものではありません。国民もかかわっています。
上に示した経過とはまったく逆の道を採ってみるのもよいのではないでしょうか。つまり、企業からの献金は全面禁止、政党助成金は廃止してみることです。自らが応援する政党に個人が献金する。そうしてこそ国民と政党の距離は縮まるでしょう。政治的な意思形成への国民の関与も強まることが期待できます。
政党助成金企業献金に多くの政党がすでに依存しています。政党助成金にせよ、企業献金にせよ、こうしたものに依存する体質が、主権者である国民から政党を遠ざけてしまうことは避けがたいのではないでしょうか。
世襲制限など本質を欠いた議論にすぎません。

*1:列記した2本の記事以外に、「朝日」が本日28日朝刊で、「ポスト小沢へ動き急」という記事を掲載しています。何とも平板で、手あかのついた見出しですが、記事によれば、小沢擁護から辞任やむなしに党内の意思が動きつつある様子が描かれています。辞任の時期は、推測すれば、まさに自民党の出方、解散の時期によるということなのでしょうかね