クサナギくんを「最低の人間」という前に。。

「最低の人間」発言撤回 草なぎ容疑者逮捕で鳩山総務相

鳩山総務相は24日の閣議後会見で、公然わいせつ容疑で逮捕された草なぎ(弓へんに剪)剛容疑者を「最低の人間としか思えない」とした発言について、「地デジ(地上デジタル放送)に影響があることを強く懸念してはらわたが煮えくりかえり、言ってはいけないことを言った。『最低の人間』と言ったことは取り消す」と述べ、撤回した。

総務省や鳩山氏の事務所に「最低などと言える立場か」「いまの政治の方が最低だ」といった苦情が寄せられていた。

クサナギくんが全裸で何を叫ぼうと、それは彼の勝手であって、メディアがあえてとりあげることなのかしら、それが最初に思ったことでした。彼のとった行動が、どれほど社会に波風をたてたのか。実際に、誰がどんな形で被害をこうむったのでしょうか。
むしろ私は、これだけのことで、率直に私はそう思うのですが、ことさら言及する、したがる時の総務大臣の心性を問いたい。総務大臣鳩山邦夫氏が「最低の人間」と語ったそうです。撤回したものの、問題は、クサナギくんの行為を「最低の」の言わしめる、鳩山氏の認識そのものに大いに私は疑念をもつ。鳩山氏に問いたい。
クサナギくんが「最低の人間」だと断定する発言は、世の中のどんな出来事よりもクサナギくんのとった深夜の行動こそが許せないものであって、他のどんなことより価値のないものだといっているいうことにほかなりません。
これはおかしなものです。クサナギくんが、全裸で、どんな言葉をはいたとしても、たとえ被害が他に及ぶとしても限定的なものにすぎないでしょう。誰の心象を害したのでしょうか。誰に不快感を与えたのでしょうか。
ところが、鳩山氏の生きている政治の世界はどうでしょう。贈収賄汚職・腐敗、とどまるところを知らないのが実態でしょう。また、政府の要人や、政党の幹部の一言一言がどれほど国民の心を傷つけてきたのか。それどころか、彼らの採用する政策がどれほど庶民を痛めつけてきたのか。「派遣切り」という名で、相対的に弱い立場に置かれ、選択のしようのない決断を労働者に迫ってきたのは大企業なのでしょうが、その大企業の思いのままになる政治を追求してきたのは、ほかならぬ与党であって、それだけではなく労働者派遣法の改悪には与党のみならず民主党も賛成してきた事実を忘れることはできないのです。少なくとも政治は、われわれ庶民の生活を守るという側面よりも、敵対してきたということすらできるのです。とくに小泉構造改革後の政治は、結果的にそう結論づけることができる。
そう考えるならば、クザナギくんの一夜の「破廉恥な行為」を「最低の人間」のすることと断定することよりも、現在ほどの窮状に国民を陥れてきた政治家の皆さんの行為を私はむしろ糾弾したい。政治というものは、どの階層に寄り添うのかが局面局面で問われるものです。例をあげると、自公という与党だけでなく、野党の民主党も、「政治とカネ」の問題を軸に、どれだけ政治をゆがめてきているのか。その視点をしっかりもつことが大事な気がしてなりません。
少なくとも私には、クザナギくんの行為が、「政治とカネ」をめぐって大いに政治をゆがめる実態が現にあって、そこにどっぷりつかっている政治家、与党議員も民主党議員、小沢代表もふくめて区別がつかないような、ゆがみをもたらす行為に手をそめている政治の世界より低位に置かれる筋合いはない、こう断定してよいと思います。

庶民の生活より、特定の企業の権益を優先したり、あるいは財界や大企業を文字通り特権階級のように扱ってはばからない政治家の認識をこそ疑ってしかるべき。
少なくとも彼らは、クサナギくんの行為とは比べ物にならないほどに、世間にダメージを与えてきたし、与えているのはまちがいないと私は考えるのです。
カネの力で政治をゆがめることを徹底して断罪できる社会(の力)を期待したいものです。