西松違法献金問題の読み方− 政権交代至上論者の場合


山口二郎氏が、小沢秘書の逮捕問題にかかわって、はじめて自らのブログでふれています。

政局の停滞をどう打破するか


結論を先にいえば、政権交代はじめにありきという視点からのみ事態をとらえる山口氏の姿勢は、今もって変わっていないということです。
いくつかの論点について考えてみます。
ところで、小沢氏を結果的に弁護している側の主張は、明確な特徴があります。
一つは、検察の捜査に関してそれを暴走だというものです。さらに、これは、秘書が逮捕されいち早く小沢氏自身、民主党が強調した、権力によるある種の弾圧だという主張と結合した議論だといえるでしょう。
今一つは、企業献金そのものに肯定的であって、小沢氏の関連団体が受け取った献金というものは、「適法」であって、後ろめたいものではないとするものです。
大別すると、この2つの立場から、小沢弁護論が繰り返されてきたわけです。ブログの上でも同様です。この事件、小沢第一秘書の逮捕まで、日常茶飯事のごとく喧伝されてきた政権交代の論調なのですが、ややしぼんだと思える向きもあり、あいかわらずの信奉ぶりを記しているものもあるようです。

この山口氏は、冒頭にのべたように、政権交代を至上だとする立場からこの西松違法献金問題を解釈しています。

公設秘書逮捕事件は、結局政治資金規正法違反による起訴だけに終わった。これは実質的には検察の敗北…

今回の事件は、日本の民主主義の基盤がいかに弱いものかを改めて示した。最大の問題は、強制捜査権を持つ検察という官僚組織が、民主政治の方向をねじ曲げたという事実

たとえば、何もやましいことはしていないと小沢氏がいうとき、それは、政治資金規正法にてらし、形式的な整合を保っているということを主張しているのと同じことでしょう。
しかし、西松建設がダミーの団体をでっちあげ、社名を隠して献金していること、要するに迂回献金が疑われているわけなのですから、これが微小な「罪」なのかどうか、政治家の認識が問われるものでしょう。
小沢氏の認識はそれを是か不問にするところに留まっているのは明らかであって、それは名をあげられている他の自民党政治家と同じだと当ブログが主張するのもこの点にあります。

山口氏は、企業献金の本来もつ、わいろ性にまったくふれていません。
巨悪とよぶかどうかを横に措くとして、その際、企業からの献金が公共事業受注を目的としたものだと報じられているわけですから、小沢氏に問われているのは、この認識でしょう。
だから、検察の捜査のあり方を強調しながら、片方で、そもそもの企業献金にたいする認識やせいぜい「形式犯」だとして不問に付すかのような氏の論調にも、市民派やリベラル派などと自認するブログの一部にある企業献金のどこが悪いという、いわば居直るかのような態度に私は反対します。

山口氏がこうのべるとき、その貧困な想像力に苦笑せざるをえません。

昔、ある検事総長が「巨悪を眠らせない」と大見得を切ったことがある。リクルート事件の捜査で竹下政権を退陣に追い込み、佐川急便事件で金丸信の脱税を暴いた検察は、その系譜に連なる小沢も巨悪の同類と思っているのかも知れない。

今回の逮捕容疑を見る限り、小沢を巨悪と呼ぶことはできないと私は考える。

さらに、踏み込めば、以下の「論理の展開」は一面で驚くばかりの鮮やかさなのですが、その論理そのものが、唯々、自民党から民主党政権交代を真理だとするところから発したものだとするならば、どうでしょう。およそ論理的とはいえないものに転化してしまいます。

竹下派と検察の攻防を目撃してきた小沢は、自分や秘書の行動について、刑事事件にならないよう明確な一線を画してきたに違いない。

法律論から見れば、事の本質は検察の暴走ということになるであろう。

しかし、政治論として考えれば、単に小沢を免罪するという主張は立てにくい。

半世紀を超える長期政権を倒す時には、様々な障害がつきまとうものである。それについて、権力の弾圧だと非難していても、活路は開けない。今回の攻撃をはね返すだけの胆力と知恵が民主党に求められている。

元に戻れば、今回の秘書逮捕で問われるのは、企業献金そのものについての態度です。長年、多額の献金を受け取ってきた小沢氏は、その献金企業献金でないことを証明する必要がある。
最近になって企業献金の全面禁止を表明した小沢氏なのですから、なおさらです。これまで受け取った献金を「適法」に処理しているということではなく、説明しなければならないのは、自分が企業献金を受け取ってこなかったということです。

「小沢献金事件によって、政局は奇妙な凪の状態に陥った」と嘆く山口氏です。
しかし、「凪の状態」は繰り返されてきたというのが私の印象です。いわば意図的に、あるいは必然的に、民主党は国会終盤では対決姿勢を放り出してきました。
自民党の対抗軸になろうとするのなら、ちがいは何か、それを明確に打ち出せばよい。それだけのことのように私にはみえるのですが、こうした停滞状況をつくり出す要因の一つに、民主党のそもそもの姿勢、路線があることも確かでしょう。
政権交代を実現したのちの姿をいまだに説明することなく、交代を交代を、あるいは交代したら実現すると、たびたび繰り返しているわけですから。

山口氏のこれまでの言説でも、では交代で何が変わるのかについてはまったく定かではありません。それが、つまりは政権交代至上主義といわざるをえないゆえんなのでしょうね。