派遣切りを当然視する池田大先生


池田先生が繰り返し、こんなことをいっている。
彼はいちおう学者なのでしょうが、それに似合わず相当の策士だから、眉に唾しなけばなない。
曰く、

日本の労働行政の奇怪な点は、派遣や請負などの問題ばかり騒がれ、もっとも悲惨な失業者の問題が論じられないことだ。「2009年問題」で15万人以上の派遣労働者が失業者に転落することが予想されているのに、厚労省は「直接雇用しろ」という建て前を繰り返すだけだ。90年代には、大蔵省が不良債権の醜い現実を認めるまでに5年かかった。今回もこうして時間を空費しているうちに「大失業時代」がやってくるだろう。
よい雇用政策、悪い雇用政策

失業はまことに重大な問題で、彼がいうまでもなく、派遣切りや請負だけでなく昨今は正職社員の解雇を打ち出したソニーにみられるように、解雇がまさに横行する事態に立ち至っているといえる。
すでに日本は失業者を生み出しつづけ、失業者が増大する過程にある。
ハケンが騒がれ、請負が騒がれるのは常にそのことが解雇を意味しているかからでしょう。行間から読み取れるのは、ハケンや請負を問題視するのは、すなわち失業を生み出すということだ。しかも、こうも彼はいっていた(以下)。労働組合に責任を押し付けるという念の入れようだ。

「労働者保護」が強く労働組合の組織率の高い国(あるいは州)ほど失業率が高いのは、経済学で確立した定型的事実だ。厚労省の進めている「労働再規制」が、彼らの主観的な温情主義とは逆に、失業という格差を拡大することは確実である。
失業の最大の原因

彼は、派遣、請負がだめならば、失業がふえるという。西欧諸国では失業率が高いという。けれども、彼の議論は、仮に失業率が高いとしても西欧諸国には、日本とはくらべものにならないセーフテュネットが存在するということだ。失業しても生活が保障されている西欧。かたや日本は派遣切りにあえば、どん底をめざしてつきおとされる運命が待っている。誰もがその危険性と無縁ではないという環境に置かれている。失業すれば、脱出できる可能性のある人は相対的に少ないのだ。失業すれば、路上生活を強いられる確立は高くなるのだから。西欧とはちがう。西欧で、首都に日本ほどホームレスに出会う国がはたしてあるのか。

池田の視点は、雇用の流動化などというのだが、結局、言い分は、正規雇用から非正規に置き換え(賃金を抑制し)労働者をいかに低賃金で活用するのか、使い捨てるのかという点に尽きる(*1)。2009年問題などは、まさに偽装請負が暴露され、大企業が「譲歩」せざるをえなかった、一面では問題を3年間先送りした約束にすぎない。約束は果たさなければならない。3年の猶予がついたまでのことだ。

派遣や請負をやめれば失業が増えるという脅し、正規雇用の権益をまもることは一方で失業をふやすという池田の言い分は、労働者の賃金というものをトータルで抑制しようとする総額人件費(抑制)という支配の論理から出発している。

*1;雇用を流動化するもっと重要な理由は、それによって労働生産性を高めることだ。流通業や建設業には大量の潜在失業者がいるが、医療や介護では人手が足りない。前者から後者に労働力を移転するには、解雇規制を緩和するとともに職業訓練を強化し、新たなキャリアへの挑戦を容易にする必要がある。それによって福祉サービスが成長すれば、内需拡大によってGDPが高まり、労働需要も増える。厚労省の進めている雇用固定化政策はきわめて反生産的であるばかりでなく、労働者を会社に閉じ込めて不幸にする。
雇用流動化で失業率は下がる