不人気の自己責任

官房長官「申し訳ないが選挙は自己責任」 支持低迷受け

内閣支持率が低迷し、総選挙前の麻生首相交代を求める声が自民党内から出ていることについて、河村官房長官は23日の記者会見で、「選挙は政治家一人ひとりの自己責任だ」と反論し、首相の人気に頼らず自助努力で選挙に備えるべきだとの考えを示した。

河村氏は「小選挙区制は党の方針やリーダーへの支持に影響を受けることは間違いない。支持率が低く、政府としては申し訳なく思う」と述べる一方、「それぞれの候補者の発信力、政治姿勢、実績、将来性すべてを勘案して有権者は判断する」と指摘し、「候補者がこの難局をいかに乗り切るかを有権者は見ている。乗り切って、将来が開けてくる」と奮起を促した。

一般的にいえば、党首というものが政党の顔として受け取られるわけでしょうから、党首の一挙手一投足がその政党のイメージの良し悪しにつながるのは否定しがたいでしょう。麻生首相の答弁が物議をかもし、批判をあびて、翌日にはまったく正反対の釈明になっているというのに、私たちは慣れっこになってしまいました。つまり、麻生氏とは、答弁してもたびたび変わるわけですから、そもそも答弁の重みがない、こう受け止められていると考えてまちがいないでしょう。大事なのは、麻生氏の「直感」、すなわち答弁がことごとく世の中の思いや感情とかけ離れているということです。別のいいかたをすれば、はなはだ非常識なことをたびたび口にしてきたのが麻生氏だともいえるでしょう。
ですから、こんな首相のもとの政権や、こんな党首をあおぐ自民党というものが当然、不人気になってもおかしくはない。ただ、私は麻生氏をかばうつもりは毛頭ありませんが、自民党の不人気というものは、ある意味で宿命づけられたところがある。宿命という言葉をつかいましたが、小泉構造改革がいまや多くの人々を傷つけ、社会の隅々まで亀裂を生んでいるわけですから、政権を担ってきた自民党にたいする反発が根強いものになってきたのはうなづけるわけです。極端なことをいえば、麻生氏ならずとも、この自民党の不人気を起死回生とばかりに、転換できる人はまずない、こう思えるのです。
麻生氏は、こんな負の遺産を背負いながら登場したわけですが、しかし、先にのべた麻生氏の行状が自民党の不人気を加速していることもまた否定はできません。

河村氏の上の発言は、こんな状況をすべて承知の上でのものです。あとがない自民党と現政権。一人ひとりの当落を、渦中の政党が責任もてる状況にないのですから、こういうほかないでしょう。自己責任という言葉でもって、本来の責任のありかを隠しとおしてきたのが、ほかならぬ自民党でした。

しかし、以上のふりかえりからも分かるように、選挙というものが、当の自民党をとりまく情勢から無縁であろうはずがありません。あえていえば、麻生氏の不人気が、自民党候補者にとって不利に働くことはあっても、有利にはたらくことはまずないといってよいのかもしれません。そう考えると、選挙は自己責任と言い切る河村氏の発言に人を納得させる力はないのではないでしょうか。

内閣の一員たる河村氏が、自民党候補者にむかってこんな発言をしなければならない事態がすでに自民党の窮地を示すものだといえる。
はっきりしているのは、今日の(自民党の)不人気をもたらしたのは紛れもなく自民党自身の「自己責任」だということなのでしょうが。