「追想 加藤周一」− 分子生物学者が語る非自然科学の世界


福岡伸一と加藤との接点を知らない私は、このシリーズに福岡が登場したことはまったく意外だった(「追想 加藤周一」、朝日2・14)。
福岡がいいたかったことを先取りしていえば、

絶え間ない消長、交換、変化を繰り返しつつ、それでいて一定の平衡がたもたれているもの。それは恒常的に見えて、いずれも一回性の現象であること。そして、それゆえにこそ価値があること。

それを加藤を常に視野に入れていたということなのだろう。

分子生物学者である福岡ならずとも、「理科系人間」ならば、事象をこのように消長・交換・変化のなかでとらえ、世界が平衡をたもちつつ、なおかつ恒常的でけっしてなく、二度とは起こりえないものという把握は、それぞれの実感にもつながり、よく理解できることだろう。

私たちはしばしば、自然界の事象と、人間を介在する政治や社会の現象とは別物だろうと考えがちだが、上のように、消長・交換・変化のなかでとらえてみると、自然界と人間社会の現象が、ただ後者が一度、人間の脳をくぐり抜けたものであるという違いのほかに、区別できる要素はないといえる。あるいは、ブログ界での意見のなかに、人間社会の一面をとらえる、たとえば経済学などは科学ではないという暴論もあった。これは根底には、先にのべたように社会現象というものが人間の精神を経由するだけに複雑であって、それゆえあたかも自然科学とは異なり、そこに法則性がないように受け止められるからだろう。

回り道をしたが、福岡は一時期、文転を考えたそうである。私事ながら、理系に在籍しながら、私ももっぱら文系の書籍にかじりついていた。まるで本籍は理系、現住所経済学部のように。人間を経由する現象は、自然の事象とはまた違って、複雑で、とらえどころがないようにみえ、そこに面白さがある。