餓死を許さない社会、無関心な社会


日本では、ホームレスがあちこちで増えよう増えまいと、あたかもそれに無関心であるかのように世の中が動いていく。公式の数字によるかぎり、日本のホームレスは偏在している。最も多いのは、大阪府で4,911人、東京都4,690人、神奈川県2,020人、福岡県1,117人と続く。それらの府県は、以上の都府県と比較すれば、発表された数字によるかぎり、比較すべき数字ではない。私の住む福岡では公園という公園のほとんどでいくつものテントが張られていて、はたして公式数字のとおりの現状なのかどうか、疑わしい気持ちを拭い去ることはできない。
いわゆる路上生活者の現状を私たちは公式発表によって知るのだろう。先に、ホームレスがあちこちで増えよう増えまいと、あたかもそれに無関心であるかのように世の中が動いていくとのべたのだが、強く意識するようになったのは、こうした現状が異常だという認識の欠如ということだ。日本は、少なくとも餓死者は出さない西欧諸国と比較すれば、その違いは歴然としている。典型は、おにぎりが食べたいといって命を断った北九州の痛ましい事例はその典型ともいえるだろう。

すでに少なく見ても公式発表の数だけの餓死予備軍がいるという日本の現実。その上、金融危機を口実にして経営維持のためのまさに調整弁として機能させられている、非正規雇用労働者の失業という最近の傾向は、日本が西欧諸国との対比でいよいよ際立っていることを強調しているように思う。
少なくとも西欧諸国では、スペインが日産の解雇を撤回させたし、ドイツでも、フランスでも解雇にたいして厳しい規制が措置されており、ドイツでは大企業数10社と政府が雇用確保のための共同声明を交わすという現実すらあるのだ。日本の政府の対応、国会の現状と対比すればその違いは、明々白々といえるのではないだろうか。つまり、日本は、100年に一度の不況だといいながら、実効ある措置を打ち出しも、とろうともしていないという意味で、昨日エントリーで私は不作為とこれをよんだ。

このままでは、今日、明日以後の一日一日がどうなるのか見通しがまったくないという意味で、生死の境界におかれている人びとといえるホームレスが、さらに増加するだろうという、大方の推測を前提にしながら、それにたいする何らの疑問も、抵抗も少なくとも目立った兆候として現れ得ない日本の現実を問わねばならないのではないか。年度末には失業者は一気に増えるという予測すらすでに発表され、その数は発表ごとに増加する方向で修正されてきている。

失業してもホームレスをうまない西欧と、失業がすなわちホームレスの行き付く軌道に乗り、自らの生存の危機にもつながりかねない立場におかれる日本との対照は、あまりにも鮮やかすぎるのではないか。
私たちは、ホームレスと日々遭遇しても、無関心を決め込むほかにない毎日、つまり湯浅誠氏によればすべり台社会でよいのか否かをこの際、今一度問い返してみる、そうすることが求められている気が強くしてならない。