自衛隊がソマリア沖まででかけるわけ


オバマ政権に対する世間の期待の大きさを受け止めつつ、一方で私は同政権にたいする不安をのべてきました。世間の期待は、海を隔てた異国のことであるにもかかわらず、まるで自国のことのようにメディアも扱う、異様な事態と思えるほどのものでした。
なかには、オバナ氏自身についてカッコいい、時代に敏感など、インタビューで日本国民にインタビューして答えさせるなどの念の入れようです。これが日本社会の現実なのでしょうか。
不安に思ってきたのは、オバマ氏の、あるいは米国民主党のといってよいのかもしれませんが、対日政策の点です。世間の、ある意味で手放しのオバマ礼賛の風潮のなかで、すでにオバマ政権が前ブッシュ政権とほとんど変わらないと指摘する論者も生まれているようですが、私の不安は、むしろ麻生政権の外交・防衛問題での対応によって、いっそう増幅されているのが現状です。

たとえば、ソマリア沖への自衛隊の派遣。
海賊対策だといえば、一般人に危害を加えるという、海賊という言葉に内包される意味を前提にするとなるほど聞こえはよいが、はたしてそういうものなのでしょうか。
ソマリアの海賊対策を盾にとって、自衛隊というものがいかなるときでも、地球上のどこにでもでかけることが可能なようにするための、前例づくりのように私には思えます。地球儀を眺めてみれば分かるとおり、ソマリア沖での海賊の蛮行が日本への直接的な影響をあたえることはまずないといえます。そうではなく、海上での治安、人身の安全などは現行法では海上保安庁のもののはずです。自衛隊の行動は、それらの任務にてらし、海上保安庁の能力を超える場合に限定されてきたと解釈できるでしょう。しかも、日本近海が前提となる。だからこそ、いわば「遠征」に、(海上での)捜査権のある海上保安庁を同乗させるのでしょう。

一般に海賊の行為というものは犯罪行為であって、戦闘行為とは解釈されないでしょう。だから、啓作活動の強化こそ求められているのでしょうが、そのために国際的な警備活動強化のための財政的・技術面での協力体制が今、求められていると解せます。

ほとんど唐突ともいえるようなソマリア沖への自衛隊派遣を、オバマ政権誕生のこと時期に浜田防衛相が表明する事態に思うのは、冒頭の不安にかかわっています。不安は、民主党オバマ政権が、よりいっそう日本にたいして「日米同盟」を盾にとって、日本の役割を強調し、肩代わりを求めるだろうということです。
今回の、わけのわからぬうちに自衛隊の行動範囲をなし崩し的に広めようとする麻生内閣の態度に、それを読み取ることが可能だと私は思います。
世界の趨勢にてらしても奇異な、どこまでも米国の顔色をうかがうような、日本の従属的な関係がこれでよいのか、いよいよ問われています。
(「世相を拾う」09028)

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追記;シーファー駐日米国大使が、日本は貢献を求められるまで待つべきではなく、日本からイニシアチブを発揮して国際社会の協調行動に参加する意思を示すことが「強力なメッセージとなり、新政権と関係を始める上でこれ以上よい方法はない」と離任を前にのべたというのは示唆的です。