湯浅誠スピーチ− 社会を社会たらしめ、単なる人間の群れではない位相を


以下は湯浅誠氏の、大佛次郎賞受賞スピーチです。

90年代は、野宿の問題は自己責任論で片付けられてきました。問題の本質を直視しないうちに、貧困がどんどん広がってしまって、中間層に迫っている。自己責任論で片付けているだけでは問題はむしろ悪化するばかりだと、昨年暮れからの派遣切りで明らかになりました。
もちろん一気に政治や社会の見方が劇的に転換することはありません。個別対応・社会運動・政治的な折衝に同時に取り組まないと事態は好転しません。
貧困とは、単にお金だけではなく、豊かな人間関係や精神的な自信までも失って、生きる希望を見いだしにくくなる状態です。そして知的な、技術的な要素も含まれます。高度な知的財産と技術を保有した人たちが、その“溜め”を社会全体のために底上げするようにして活用する。私は、そのような循環を夢想しています。
論壇の役割は研究と教育、そして知識の普及・還元があるでしょう。市民としての責任と言ってもいい。知識を普及し、他人と補い合って活用し合っていくことが、社会を社会たらしめ、単なる人間の群れではない位相を作り出すと思います。
(『朝日新聞』090129)

簡潔ながら、含蓄深い。
貧困が自己責任という言葉でにべもなく処理されてきたのは今日だれでも気付くことなのでしょうが、たとえば「個別対応・社会運動・政治的な折衝に同時に取り組まないと事態は好転し」ない。これは、実践家でないと、語りえない言葉でしょう。

昨年、とくに顕著になった反貧困ネットワークの際立った行動は、湯浅氏が語るように、金融危機というある種特殊な条件によって表出した今日の資本主義の抱える問題をとらえ、告発してきました。それから、同じ年末の「年越し派遣村」の短期日の経験は、湯浅氏のいう「個別対応・社会運動・政治的な折衝」という三位一体の実践と、その力を私たちの前に鮮やかに示したのではないでしょうか。

派遣労働者が、派遣労働者でなくなった瞬間、自らのこれまでを相対化して、これまでの自分を振り返るのはなかなか困難をともなうようです。派遣村と同じような実践を通して、報告されるのは、そこに訪れた元派遣労働者がただちに過去の自分を、過去の自分の派遣労働と客観的に、相対化してみつめることができるとは限らない。派遣村でもおこなわれた相談に訪れたとしても、最初はとりとめのない話が続くというのです。そのうちに、相談する側と乗る側の壁がなくなったと、相談する側が感じ取ったその瞬間から、実は相談する側の、ほんとうの相談がはじまるというのです。分かりやすくいえば、最近は寒い日が続きますねという話しではじまり、一定の時間を経て、実は、自分の身上に話が及ぶというわけです。それから、明日からの生活のめどがまったくないこと、どうすればよいのか、という具合に。

考えてみると、派遣の実態は、個々の労働が寸断されている。相互の関係、位置を確かめるのはむずかしい。人間関係が成り立たない。孤立しているのでしょう。コミュニケーションが存在しない世界だともいえるでしょう。

これを、湯浅氏は、豊かな人間関係や精神的な自信までも失って、生きる希望を見いだしにくくなる状態としてとらえ、貧困の強い一面だと主張していると思えます。

つまり、反貧困のネットワークは、貧困をなくそうと主体的にかかわろうとする人ばかりではなく、現に解雇・派遣切りという被害にあった人がそのなかに入ってこそ、力をうる。そして波が広がる。関係がつくられる。この繰り返しが、個別対応・社会運動・政治的な折衝のレベルを引き上げていくのではないか。
「社会を社会たらしめ、単なる人間の群れではない位相を作り出す」作業の一つがここにあると私は思います。