連合「ブーイング」サイト閉鎖− さもありなん。。


連合の折角の取り組みですが、その意図はどこにあったのでしょうか。率直に首をかしげたくなります。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009012800062  

仮にも労働組合なのですから、労働者の、あるいは組合員の不満に耳を傾けるのは当然でしょう。しかし、組合は、それを要求として束ねて改善を迫ることに本来の役割の一つがあるのではないでしょうか。その意味で、不満を不満として受け止めるだけでは、もとより限界がある。
そうではなく、不満のなかにおそらくは個々の労働者が解決してほしいと内心、考えている個別の問題が存在する。それを政策化し、使用者に、あるいは行政に迫る、これが最も大事なことであったと思えます。

ですから、このニュースが伝えているところから判断すると、連合のやったことは、ほとんどマスメディアが往々にして企画する人気取りの番組程度と断じてしまっても、あながちまちがいではなかろうと思います。
ネーミングがそもそもおかしい。「全日本ご不満放出選手権 booing.jp」。いかにもという名前です。不満を放出させて以降、これにどう連合が対処したのか、不明ですが、記事の文脈からすると、手をつけきれないまま、不満は放っておかれたと推測できる。その意味で労働組合としては無責任のそしりを免れないと私は考えます。

これだけの景気悪化にあいまって、現に多数の労働者が首を切られています。大量首切りの様相はほぼ固まりつつあるのではないでしょうか。だから、将来への不安が高まる一方、もちろん不満も鬱積するのでしょうが、いま大事なことは、解決の道を当該の労働者とともに探っていくということでしょう。あえていえば、今こそ労働組合の本領発揮が求められているのではないでしょうか。
不満のなかには、連合を頼って連絡した人もあるでしょう。その声を連合はどのように受け止め、どのようにしようとしたのでしょうか。
労働者に寄り添うことが組合の生命線だとすると、連合の姿勢はそれとは異質のもので、その生命線を自ら放棄するような行動に出たと考えざるをえない。

連合に、闘えと迫るのはここでは措くとしても、労働者に寄り添え、こう迫らざるをえません。
それなしには労働組合として存在しないし、存在しても、それは労働組合に似て非なるものではないでしょうか。
年越し派遣村などで、形はともかく共同の機運も芽生えはじめている今日、連合にも一ふんばりを期待したいのですが。。