景気悪化、不況から身を守るために


以前から社会保障の経済波及効果に言及していた厚生労働省は、厚生労働白書でこうのべている(参照)。

社会保障関係事業の総波及効果は全産業平均よりも高く、「精密機械」や「住宅建築」と同程度となっている

社会保障分野、特に介護分野は労働集約的であることもあり、その雇用誘発係数は、収容産業のそれよりも高くなっており、社会保障関係事業には高い雇用誘発効果があることが分かる

それならば、たとえば介護報酬を現状のままに止めていたのではつじつまが合わない。もちろん報酬改定を予定はしているのだが、改定幅が3%程度では間尺にあわないのだ。介護事業所も、介護労働者も余裕はみじんもないのが現状だろう。
介護という分野が独立した部門としてかつて出発するとき、介護労働者は、個々の働きがいや社会的使命感をくすぐるような言葉、宣伝文句をかけられ、仕事に就いてきたといえる。しかし、現実は、低賃金、過酷な労働に象徴されるように、そんなものでは少しもなかった。
前回のエントリーで、社会的承認の不在についてふれた。むしろ、介護労働者は形式的には承認された職種であったはずなのに、その扱いたるや、承認にふさわしいものとはけっしていえない。給料というものが、生活の糧であって、同時に、自分がどれだけ必要とされているのかという指標であるのなら、介護労働者は、社会から必要とされているとはとてもいいがたい扱いを受けているし、きたことになる。

だから、冒頭の厚労省の認識には私は賛成するが、言葉どおりに受け止めれば、たとえば雇用を確保することは、すなわち社会保障費の拡大を意味している。論点の一つはここにある。
話を冒頭に戻すと、つぎのような動きは、厚労白書の認識にもとづく具体化とも受け取れる。


失業者を保育所で雇用、資格取得も支援…厚労省検討

このような論立てをすると、たちまちそれでは社会保障費をまかなうために消費税をとなるのが、政府の言い分である。ふくらむ社会保障費をどうするのか、こういった問題意識自体は少しもおかしくはない。
しかし、最近では、消費税を単に社会保障のための財源にという従来からの宣伝だけではなく、メニューを示して社会保障の機能を高めるためにというふれこみで消費税増税を叫んでいることに注目しなければならない(参照)。社会保障国民会議の議論をみよ。

国民が景気悪化、不況から身を守るための論点のいま一つは、健康を維持するためのセーフティネットにかかわる。年越し派遣村の報告によっても、派遣切りにあった人が、派遣村のことを聞いて、日比谷公園まで遠距離を歩いてきた人もいるようだ。その日をどう乗り切るか、いわば命を賭けた毎日を解雇以降、味わった人が無理をしてでも派遣村に駆け込まざるをえなかった。雇用を確保する上での企業の責任に再三ふれてきたが、それを横におけば、彼ら労働者を救うのは本来、行政の仕事であってしかうべきだ。それを民間が、限界があるなかでもやらざるをえないところに、日本の「政治の貧困」がある。そこで必要なのは、生きていくための前提条件である雇用とともに、生命体の維持、つまり健康を彼らにとりもどすことだ。

日本医療政策機構は、

費用がかかるという理由で過去12カ月以内に「具合が悪いところがあるのに医療機関に行かなかったことがある」人の割合は、「高所得・高資産層」の18%に対し、「中間層」で29%、「低所得者・低資産層」では39%

と調査結果を報告している。
前年にも同様の調査をおこない、ほぼ同じ結果だったという。つまり、経済格差が受診抑制をもたらしているのだ。
この結果から、非正規労働者の解雇によって、受診抑制が起き、彼らの健康が阻害されていることが容易に推測される。実際、派遣村に集まった人のなかには重症と判断される人もいたようだ。

一方的な解雇によって、職も住も奪われた人びとを救うために、彼らの受診機会を保障することが不可欠となっている。国民皆保険といいながら、住民票がないと、国民保険に入ることもできない。生活保護を受けるにもバリアがある。当面、住居が必要な人には緊急の避難所を、受診が必要な人には医療扶助でも可能な条件をつくるなど、段階的で柔軟な対応が行政に求められるのではないか。

社会保障を充実させるのは、差し迫った課題だと私は思う。高額な保険料が少なくない無保険者をつくる。いったん解雇された派遣労働者は、職も住も失う。それどころか、健康をなくし、明日の命も危うい事態に直面することになる。湯浅誠氏がいうすべり台という社会に我われはあるのだ。命も失いかねない解雇、派遣切りだという認識が必要ではないだろうか。

政府・厚労省の文脈からは、だから社会保障の機能を高め充実させるために消費税増税が要るということになる。しかし、経済格差がすでに受診抑制をもたらしている現実、すなわち健康格差を生み出している現実は、社会保障というものが、そもそも経済格差を強調する方向に左右するのではなく、所得の高低を修正し、高い方から低い方に左右するようなものにしなくてはならないことを示唆している。所得の低いものは受診するできない日本になってしまっているのだから。住居も定まらない、いわば底辺に落とし込まれた人たちは、そのことで保険をつくることも、生活保護を受けることすらままならないわけだから。
その意味では、明らかに高い所得の人びとも、低い所得の人びとも同じ税率でかかってくる消費税というしくみそのものを問わないといけない。

応能負担の原則を貫くことこそ、社会保障充実にふさわしい考え方だと私は思う。
(「世相を拾う」09023)