雇用を減らして成長できるのだろうか


正規雇用へのシフトで膨大な利益をあげてきた大企業。労働者派遣法の制定と相次ぐ改定がそれを後押ししてきたのは否めない。こうした大企業だけが途方もない利益をあげるという一極化の構図は、結局、日本全体の経済成長にとっては貢献することはなかった。国内では、非正規雇用への置き換えによって、賃金は切り下げられる結果となり、将来の生活の不安がつきまとうわけだから、消費は減退せざるをえない。
非正規労働者の得た賃金のうち多くは消費に向かう。賃金が低いわけだから、貯蓄に回す余裕などない。だから彼らの賃金を上げることは、さらに消費を高める効果があるということだ。

社説:マイナス成長 萎縮の連鎖を食い止めよう

経済の急激な下降を示す数値が相次いでいる。国際通貨基金IMF)や国内の民間調査機関のほとんどが、日本がマイナス成長に陥ると予想している。日銀も経済見通しを修正して、08年度がマイナス1・8%、09年度がマイナス2・0%の予想に改めた。

ところが、派遣切りが横行するなかでは、消費需要は一時的に大幅に減るために、企業は、設備投資も控えるだろう。不況はいっそう深刻なものとなる。派遣切りで利益確保を追求しようとする企業の態度が不況をさらに深めるのだ。ここには負の循環がある。個々の企業が利益確保を目的に派遣切りや正社員の解雇をすすめると、消費が減退し、マクロ的にはそのことが不況をさらに深刻なものにし、全体として企業の業績も悪化するというものだ。
冒頭の経済見通しが日本のマイナス成長を指摘するのは、このためだ。

企業にとって、目標とする利益を確保するために最大限、思いどおりに、つまり使い勝ってよいように、非正規労働者は扱われてきた。最近までは、まさに非正規労働者は利益をあげるための欠いてはならない構成要素であったはずだ。けれど、もともと非正規労働者の配置は、誰でもできる仕事とされている。給料も高くない。一般に、給料というのは、使用する側からみると、企業がどれだけ必要としているのかという指標でもあるし、働く者からみると、それは、生活の糧でもある。実際には、最大限の利益追求が非正規労働者の存在なくして不可能であったという事実の一方で、働く側からみると、支払われる賃金が生活の糧というには最低水準であるはずの生活保護基準にも満たないという実態は、労働者に、いなくてもいいんだという実感を、つまり企業から自分は(おまえなんかの代わりは)いくらでもいると、はき捨てられるようにいわれているのと、同じ感覚を抱くにちがいない。自分が社会的に承認されていないと、主観的にはとらえざるをえない。企業の利益追求にとって不可欠であるという自分の存在とその扱いの差異に、社会的不承認をみてとるのだ。

そして、彼ら非正規労働者は本来、余剰の部分でもある。これを、以前のエントリーで産業予備軍と私は表現したが、現状以上の利益確保をも込めるときには、生産をあげるためにこの余剰部分から企業は労働力を吸収し、確保する。逆に、不況に直面すれば、その限りでで目標とする利益を確保するためには生産を縮小し、非正規切りを実行する。秘蹟労働者はまた予備軍という枠組みに戻される。一企業の行動はおよそこのようにえがけるのだろうが、一企業のこうした行動は社会全体からみれば、先にのべたようによけいに消費需要の低下を招くことになるわけだ。

引用した毎日社説は、最後のパラグラフでつぎのようにのべている。

民間企業はいっせいに緊縮に走っている。しかし、不安心理の増幅が連鎖すれば経済は萎縮(いしゅく)を続けるだけだ。こういう時期だからこそ、人々が感心するような商品やサービスを投入するなど、少しでも先行きが明るくなるような活動を期待したい。

結局、「合成の誤謬」という言葉を多くが知っているが、それが当たっているとすれば、個々の企業の現に取る行動はその範疇のなかにある。毎日は以上の表現にとどめているが、多額の内部留保を貯めこんでいて、自らの目標にのみ拘泥しつづけ、雇用確保を一顧だにしない企業の姿勢を問わないでは事態は改善しないのではないか。