山岡賢次氏は民主党の体現者または民主党の腰砕け。


山岡氏が窮地に立たされている。不透明な資金問題が発覚したためだ。栃木県真岡市の市長選で公設秘書を派遣する見返りに400万円の献金を要求されたというもの。
こんな疑惑がどんな形で回収されようとしているのか、そこに私の関心はある。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090124ddm041010098000c.html 

結論をいえば、あれだけ4野党が共同して第二次補正予算案について徹底審議で臨む構えで一致していた矢先だけれど、一転、民主党は法案の26日採決を受け入れたのだ。これでは、共同をないがしろにし、党略を優先するといわれてもぐうの音も出ない。民主党の変わり身は早さには、しばしば驚かされてきたが、その繰り返しをまたもややってのけたということだ。真義にもとる。この党には、はたして共同の姿勢があるのか、それを問いたい。民主的とは到底いえないだろう。
民主党といえば、諸説存在することがあたかも同党の民主性を証明するかのような議論がある。同党を推す人からはしばしばそんな意見を聞く。しかし、考えてみるとよく分かるが、近代の政党であれば党の政策が二つあってはならなし、どの党にも意見のちがいは大なり小なりあっても政策は一つだ。この党は、分野ごとに一つにまとまるはずのものが、まとまらない。だから、個別の問題で政党の対応を記者たちに問われた場合、しばしば鳩山幹事長が先送り発言をするのはそのためだ。まとまらないのだ。一つの立場をのべれば、それが割れるのだ。こんな日常にあるのが、つまり民主党だともいえる。

さすがに今回の腰砕けには、共産党はもとより、国民新党も抗議している。当たり前の話だ。それぞれ主張が異なる政党が、国会対応方針も個々にみれば隔たりのある政党が、第二次補正予算の基本的な問題点について共通の土俵に立って、徹底審議を求めるというのだから。
徹底審議自体は、法案を審議するのが国会の役割の一つである以上、基本にせざるをえない立場だろう。
この民主党の態度変更を、自身はどのように説明するのだろう。

元に話を戻せば、ならば採決に合意するという変身には、山岡氏への(与党の)追及をかわそうとする魂胆がみえすいている。そんな自らの事情を、野党の共同より優先し、共同を反故にする姿勢は重大だととらえたほうがよい。
こんな思考方法、体質が同党にはある。

政権交代の主張に端的なように、「顔」や形だけにとらわれ、その中身を一切問わないという民主党支援者たちにも私は呆れるのだが、政局には敏感で、変わり身が早く、他者との、つまり他の政党との一致点など、そっちのけにしてはばからない政党が、政権をとっても危険きわまりないだろう。

政党を転々としているのが小沢氏、その小沢氏の側近が山岡氏。やはり山岡氏も転々としている。自民党から新生党、その後、新進党自由党へと移り、民主党には03年から入った。これだけの履歴は何を語るのか。
山岡氏は、まさに民主党(が何者か)を体現する一人だと思っている。つまり、彼の履歴に意味があるとすれば、自民党から新生党新進党自由党民主党の重なり合う部分、最大公約数的な部分以外にはないだろう。それは、これら5つの政党が些末の部分で異なってはいてもほとんど違和がないか、あるいは、四度も「転向」しても平然としておれるような人格の分裂を山岡氏が内包するのか、のいずれかだろう。つまるところ、山岡氏には胡散臭さが離れない。

同党の幹部の一人ひとりを追ってみると、山岡氏とどうような軌跡を描く人物が少なくない。
民主党が政局をみるに敏で、変身が早いのは、同党を支える幹部連中の一人ひとりの履歴に暗示されているし、その総合でもあるのではないか。
ともあれ、民主党と山岡氏は事実関係を説明しなければならない。