財界政党なんて面白くない


日本経団連は、周知のように2002年に日経連と統合し、総合経済団体になりました。重要なのは、これを機に、政治との新たな密接な関係を追求してきたことです。90年代には企業献金の全面禁止を視野に入れていたのですから、その変わりようは明らかといわざるをえません。つまり、日本経団連は、政党助成では政党助成では政党の自主性・主体性が確保されないということ、一方で、企業献金が法律で禁止されていないことを逆手にとって、企業献金斡旋を再会することを方針としたのです。
その後は、ご存知のように、自ら優先政策というものを掲げて、それに基づき、政党の通信簿をつけるという手法で、自民党民主党を評価し、傘下の企業に献金を斡旋するのでした。経団連の主張を自民、民主両党を呼びつけて、それぞれの政策に取り入れさせるという念の入れようでした。
その結果、日本経団連の発表によると、政治献金の総額は29億9000万円(07年分)。前年比3億9000万円増です。大半は自民党に流れています(29億1000万円)。トヨタ自動車は6400万円、御手洗富士夫経団連会長のキヤノンは8030万円(前年比131.4%)となっています。つまり、経団連という一つの大企業の集団が、斡旋という形をとって特定の政党に献金というこの構図はが日本の政治をゆがめる要因になっているのは明らかです。別のことばでいえば、財界・大企業の主張を明確に示しながら、片方で献金の支出先を決めるというのですから、そこにバイアスがかからないはずがありません。結局、自民党はもちろん、民主党もまた、財界のこの戦略に乗せられているのは、誰もが察知せきることではないでしょうか。
日本の政治は、こんな形で、大企業・財界のいわばとりこになっているともいえそうです。

米国を経由した金融危機を契機とした世界的な不況といわれるなかで、貧困と格差が極まり、働く者に生きることも諦念させかねないような犠牲を迫る現実がある。この間、たとえば労働分配率という指標で示されるような労働者への分配が著しく少なくなるようにゆがめられ、富が一方の極、すなわち財界と大企業に集中するようなシステムが構築されてきました。ひらたくいえば、働く者の犠牲、働く者を絞りに絞ることによって企業は富を築いてきました。不況がいわれると、彼らは、それでも可能なかぎりの利益確保を前提に乗り切る方途を選び取り、その結果、労働者の、労働者たる存在すら奪い取る手段に乗り出したのでした。
このような彼らのやり口を仮に横暴とよぶとするのなら、そんな横暴を思いのままにさせておくための、予めの策略ことが、企業献金でもあったといえそうです。
自民党が、財界に直接、何を要求しえたのか。そして、民主党もまた、野党らしくふるまえたのでしょうか。私には、少なくともそんな事実はないとしか思えないのです。

結局、自民党も、たとえば献金額では同程度とはいえないまでも、民主党もまた、現実には財界政党となりはてた姿を私たちにさらしているのではないでしょうか。
ここに、私は日本政治の、どうしようもないていたらくの一つを感じるのです。

予測値で10万人になりなんとする解雇(予定)者がいるというのに、ほとんど霞ヶ関の枠内で解決できない日本の政治状況が、それを端的に示しているといえるのではないでしょうか。
財界政党というのは、ちっとも面白くありません。