国民無視でも増税をいうに等しい朝日社説


「付則に明記し決意示せ」−こう煽るのは、朝日新聞社説です(1・17付)。

税制改正関連法の付則に消費税増税を明記することは、法案がとおれば増税を基本方向として確認するということにほかなりません(昨日エントリー)。手続き上、国民に是非を問わないこうしたやり方をまず問わなければならないでしょう。そのまま認めてしまえば、民主主義も何もあったものではありません。
社説は、明記自体の問題に一切ふれていません。むしろ、明記することは当然のこととして、自民党内の意見が分かれていようと、決意を示せと、増税推進の立場を鮮明にしているのです。

いうまでもなく、自民党はこれまで、消費税増税を国民に問うたことはありません。そうではなく、選挙の際には増税しないとのべ、争点にもせず、法案を多数を借りて強行してきた、これが事実でしょう。こうした消費税導入とその後の税率改定の一連の経過を考えるならば、今回の明記方針が、国民の審判を仰がないという意味で、その繰り返しというばかりでなく、付則に増税方向を盛り込むという手続き自体、国民の意見をいわば無視するものといってもよいでしょう。付則は拘束力をもつのです。

消費税増税が不可避だと朝日新聞はいいます。

不況から脱出した暁には、福祉を安定させるために、その費用を国民が増税で広く負担することは避けて通れない

この朝日の認識の是非はひとまず横に置くとしても、不可避か否か、国民の間で意見が分かれるところでしょう。不可避とは、歳入歳出を徹底して見直した結果でなければ、いえるものではないでしょう。第一、税のとり方と税の配分で、選択肢がないならば、その中身を提示し、消費税増税の審判を仰ぐものでしょう。不可避を朝日が決めるわけではありません。もちろん消費税増税を是とするか否とするか、朝日はどちらか一つの立場をとりうるし、とるでしょう。けれど、政治が国民の審判を仰がないで、国民の間の議論を経ずに、増税を強行しようとすれば、その不正を政治に問うのがその際も、ジャーナリズムではないでしょうか。

私たちは、朝日新聞の綱領を知っています。
その綱領には、第一項、同二項にこう謳っています。

不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。

正義人道に基いて国民の幸福に検診し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。

実際の朝日の言論は、この社説の主張をみるかぎり、綱領との乖離を思わざるをえません。すでに、このエントリーで朝日が明確に消費税増税の旗幟を鮮明にしたことをのべました。

朝日は、そこから飛躍して、今度は国民無視でも増税のスタートに自公政権も立たせようとしている、こう表現できるのではないでしょうか。
この姿勢の背景には、やはり消費税増税が今日の自民党政治を支える財界・大企業の要求であって、その財界・大企業にモノがいえないような非対称の関係が形づくられているからです。

その意味で朝日は、ジャーナリズム精神をどこかに置き忘れてしまったのです。