『サンデーモーニング』の語る「米国の黄昏」


米国の威信が低下しているのは誰もが認めるだろう。TBSはこんな時流を早速、番組にしていた。今朝の『サンデーモーニング』では、寺島実郎金子勝が「米国の黄昏と世界の危機」について議論していた。

「米国の黄昏」は、たとえば今日のドル安にも端的に表れているが、番組は、今日の米国社会の現状を知る上で有用な事実をいくつか紹介していた。今日の世界危機をもたらす発端になったサブプライムローン。その結果、物件の差し押さえ件数は280万件にのぼるという。
米国民の12%・350万人が「飢え」を感じている。その飢餓状態は、NPOの運営する無料食料配給所に何人もの人が群がる映像でよく分かるものだ。だが、これは対岸の火ではけっしてない。ここ数日、どのチャンネンルでも日比谷の「年越し派遣村」の様子をとりあげ、民間のこうした努力とは裏腹に、腹がたつほどに遅い政府の対応に関心と批判が集中している、いまの日本社会の一面とも重なるだろう。これが高じると、米国のようになる。誰もが予測できる、ある意味で決定づけられた方向である。
米国にはまた公的保険がないこともよく知られている。実に4600万人もの人がいわゆる無保険の状態にある。

番組は、限られた時間で、建国以来の米国の政治・経済・社会を跡付け、黄昏が歴史的にみて、たとえばベトナム戦争を契機とした軍事費の増大など、いくつかの要因をへてもたらされたことを伝えていた。実体とはかけ離れたところで動く、博打の世界たる金融経済。その結果が今日の米国ということになる。

しかし、日本はこの米国を敗戦以来、目標にしてきた。アメリカナイズが戦後、日本のある意味で目標であって実態であった。社会の表層がこうであるとすれば、深層の日米の関係は、政治的には日米安保条約で規定されるだろう。日本の対米従属。そのもとでこそ日本の高度成長もありえた。日本の戦後政治を規定するタームを一つだけあげれば、対米従属だ。あらゆる場面で米国の顔色をうかがい、米国に従う。それは今日でも少しも変わらない。日米安保条約に集約される日米の関係は、むろん日米の経済的関係も規定している。その従属と依存の関係は、したがって今日の金融危機にも表れた。

昨日のエントリーで朝日新聞の姿勢を扱った。「たくましい政治」という曖昧模糊とした言葉でもって、今日の日本社会のゆがみの原因に迫ろうとすることを遮ろうとする朝日の言説を批判した。
つまり、対米従属をあらためることは、今日の日本の窮状から脱却しようとすれば、避けて通れない課題だ。冷静に事態をみるならば、対米従属を改めることなしに、新自由主義からの脱却もありえないだろう。大企業・財界優遇をあらためることなく、新自由主義をいくら訴えても何も主張していないに等しいのとおなじように。

米国依存関係が社会にいかに亀裂をもたらしているか、それは日本だけのものではもちろんない。一つだけあげると、ウクライナ金融危機の波をかぶっている。
周知のようにウクライナも外貨導入と市場経済化を図ってきた。したがって、その分、グロバリゼーションの影響も大きい。テレビでしばしば伝えられるアイスランドの危機とその点で同じだ。
2000年以降、7%台を維持していたGDPも、05年に2%台に鈍化、08年も2.5%と推定されている。さらに不安をかきたてているのは、親米派といわれるユーシェンコ大統領とティモシェンコ首相の間に亀裂が入り、南オセチアをめぐるグルジア・ロシアの軍事衝突で政治的対立が決定的になったとされていることだ。その後、大統領と議会の対立など混乱がつづいている。
そのウクライナでは、いま外貨が急速に引き揚げ、国内の金融システムは危機的状況だといわれている。昨年10月だけで欧米の外貨130億ドルが流出したとされる。対外債務が1000億ドルを超える一方で、外貨準備高は346億ドルにすぎない。米国に追随するグローバル化の影響は否定しがたい。

番組のなかでコメンテーターが米国との関係を見つめ直すことが必要だと説いていたが、以上の意味でまったく妥当なもので、首肯せざるをえない。
つまるところ、大企業・財界優遇を問い直すこと、米国追随の政治を一から問い直すことが今、求められているということだ。
(「世相を拾う」09003)