反新自由主義連合のこと。


2008年も残りわずかなので、この年を独断的に振り返ってみたい。
この年は、金融危機をあげないわけにはいかない。米国から世界にその影響はおよび、確実に各国の実体経済を締め上げている。いうまでもなく、日本経済も免れない。昨今の期間工・派遣切りはその一表現といえる。
金融危機をあげるのなら、一方でこれを横に措いてはいけない。つまり、金融危機新自由主義的経済政策の(結果の)象徴だとすると、一方で、08年は、新自由主義に対抗する国際的潮流が確固とした地位を築いたといえるのではないか。これを、ここでは反新自由主義連合ととりあえずよぶ。ようするに、2008年は金融危機と反新自由主義連合、この際立った対照が浮かび上がった年である。
もちろん金融危機は、米国のサブプライムローン問題を発端にしたもので、反新自由主義連合も今年だけのものではむろんない。しかし、一方は新自由主義の矛盾が露呈し、かたや一方は反新自由主義という姿勢がさらに拡大し、深化したという意味で、鮮やかな対照をなしている。中南米の、新自由主義の押しつけを脱して新しい経済秩序を模索する試みはもはや止めることはできない。
日本も新自由主義の矛盾がはっきりと表出し、それに抗おうとする運動が、メディアも無視ししえないくらいに勢いを得た。小泉構造改革を今日の時点から振り返り、それでも擁護しようとするのは、比喩的にいえば、せいぜい竹中平蔵と一握りといえる。
たとえば柄谷行人のように、共産党員だった小林多喜二が書いたというだけで快く思わず、すべてを否定しようとしてかかる連中は、多くの若者が『蟹工船』に現在をダブらせ、小林の描いた労働者の決起(のありよう)に現代の青年が共感を寄せるのを揶揄するのだが、事態は彼らの思いをはるかに凌駕していて、読み継がれている。現代の蟹工船がそこかしこにあるからだ。

たまたま私は、首都圏青年ユニオンの書記長・河添誠氏の話を聞く機会を得た。河添氏や湯浅誠氏の筆による若者の貧困を扱った著作を何冊か読んだのだが、河添氏の語る、一つひとつの事例、働く者の、とくに若い労働者の置かれている環境は、紙背をどうみつめても浮かび上がってはこない、深刻なもので、心を揺さぶられる思いを抑えることはできなかった。
注目をあびている派遣。寮を追い出されるとはどういう意味をもつのか、それを氏は審らかにし、語った。派遣はまさに、いわゆる貧困ビジネスとして機能している。
派遣会社は、自分で、自力ではアパートの敷金も準備できない若者を対象にする。そんな若者はまず、住まわなければならないからだ。でなければ明日、住むところがない。そのため、寮つきの派遣は魅力なのだ。けれど、自分で借りる家賃と変わらない。安くはない。しかもその上に、光熱費、あるいはレンタルふとん代、などが次月、支払われる給料から差っ引かれるしくみがあるのだけれど。こんな労働者と派遣会社の関係の上に成り立つ、派遣先の大企業と派遣会社の関係が厳然とある。結局、大企業は労働者はもちろん、派遣会社にも負担をおしつけて利潤を得ている。

今日の派遣切りは、従来であれば、一つの派遣元が派遣打ち切りを宣告しても、他職種や他社に派遣することが可能であったものが、その振り替えが不可能になっている、つまり後がないという意味で新たなものであるということだ。労働者は、完全に働くことから排除されるのだ。だれかがいっていたが、ワーキングプアからワーキングを奪う。

今日のこの事態に、新たな労働運動の試みが生まれている(参照)。そして、規模はちがっていても、たとえば反貧困ネットの広がりに、中南米の反新自由主義連合に相通じるものを私は感じている。
(「世相を拾う」08260)

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追記;河添氏によれば、最近の期間工・派遣切りが横行するなかで、相談件数も増えているそうです。ユニオンの体制的な強化が求められているわけで、そのために「支える会」の取り組みを強めたいということでした。ご協力ください。  首都圏青年ユニオンを支える会