自民党は予算編成を乗り切れるのか。

ウソかホントかまったく分からないが、自民党の役割は終わったと麻生首相がいったそうだ。
もっとも、最近の政府の対応をみれば、その右往左往は眼を覆うばかりだ。ひどい。昨日いったことが、翌日には変更される。しかも、党内でも、閣内でも一致されたとはいいがたい内容がメディアに乗っかるのだから、ガバナンス(governance)という機能は停止しているに等しい。

だから、こんな近況に政治があれば、麻生氏の言葉とやらもいきおい真実味を帯びてくる。
自民党は、安倍の政権投げだしにつづく政権交代によっても、戦後このかた続けてきた自民党政治の悪弊、ゆがみを克服できずに、いっそうゆきづまりが深刻さをましているということだ。麻生氏の言葉は、それを吐露したものと受け取ることができる。

今は本来であれば、年の瀬が徐々に迫り、政治の世界では予算編成が佳境に入っている時期だ。ところが、伝えられるところから察すると、自公政権は、それこそ彼らが常々いうような責任政党としての役割を果たしているとは到底いいがたい水準にある。財源の裏づけも明確にしないまま、言動が先行するくらいだから。

たとえば、こんな事態にたち至っている。
社会保障関係費を毎年2200億円削減してきたのが自民党政権だったが、それを盛り込んだ「骨太の方針2006」とシーリング(来年度予算概算要求基準)を維持しつつ、経済状況におうじて「果断な対応を機動的かつ弾力的に」おこなうという。通常ならここに積極的意味を見出すこともできようが、皮肉にも、むしろここに統治機能の低下をみないといけないのだろう。自民党は、削減をストップしようにもできない隘路に今、置かれている。

私は、総選挙結果のもつ意味について先にのべてきた(参照)。そこでは、自民党には、「構造改革の推進の課題だ。たしかにとくに小泉以来の構造改革がさまざまな面で破綻を来たし、たとえばそれにつづく後期高齢者医療制度も手直しに手直しを重ねてはいる。一方で消費税増税をセットにしながら構造改革を貫こうとする意思は明確に保持されている」と記した。こうした自民党を取り巻く環境の基本はかわらず、それがいっそう加速されているということだ。

そもそも自民党の矛盾は、「骨太の方針」によって財政再建を図ろうとするところから発しているものだ。根本には再三、当ブログで扱ったように、財界・大企業ばかりに減税するような態度、そして世界有数の軍事費に手をつけないままにいることに原因がある。税のつかいみちと税のとり方を根本からあらためない限り、この矛盾からの脱出は不可能だ。

この自民党政治のゆきづまりは、ひとり自民党に動揺を与え、同党に右往左往させているのではない。民主党には、政策路線は存在しない。全体としてまとまったものはなく、この点で、自民党と同じ状態にある。このことから判断して想定されることだが、仮に民主党が政権についたにしても、麻生首相が繰り返すような迷走をおそらく避けられないと私は思う。
民主党は同時に、国民世論の動向にきわめて敏感だ。自民党以上に、状況しだいで国民の方を向く。それだけ動揺しやすいということだ。

米国に端を発した金融危機が世界的な実体経済の危機をもたらしている。日本でも大企業が相次いで非正規雇用をふくむ労働者へのしわ寄せで乗り切ろうとしている。しかし、ヨーロッパ諸国のような失業補償の充実をはじめ、国民の雇用と生活を守るために政治が強く介入することが求められるのが今だ。同様に、日本の技術を支えてきたのは中小企業であって、ボーイング社の部品をつくっている企業すらあるほどだ。中小企業支援もまた、喫緊の課題だといえる。

しかし、問題が横たわる。
これを実現するには多大な財源を要する。財源を確保しようとすれば、これまでの聖域に着手せざるをえない。法人税の税率軽減をあらためて元に戻せ。高額所得者への累進課税を強化すべきだ。そして、軍事費を削れ。
こう要求していく世論、声が必要だ。
一部では、「大きな政府」=善、「小さな政府」=悪という極端な単純化ともうけとれる言説がでてきて、不毛な議論があおられているようだが、要諦は、kechak 氏がどこかで端的にのべているように、税のつかいみちに尽きる。税のとり方に尽きる。
こんな言説もまた、今の局面での政治の右往左往を反映していると私はみる。

今後の政治のありようをクリアに論じることは私の能力をはるかに超えているが、しかし、すでに小沢らの動きにその予兆がみえるように、この危機的状況を前にして、総選挙実施前に支配層は何らかの予定調和的解決を図るだろうと考える。いいかえると、麻生政権は、予算編成を乗り切れない可能性が高い。
(「世相を拾う」08254)

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