金融危機と機軸通貨のゆくえ− 岩井克人氏の所説から


東京市場の平均株価は終値で7162円90銭を記録、26年ぶりに最安値を更新した。
株価のこんな下落に象徴されるように、米国発の金融危機によって、日本の現在は、景気の先行き懸念がいちだんと強まりこそすれ、収まる気配はない。

景気は中小企業をすでに直撃しているだろう。
昨日エントリーでは、ある種喫緊の課題だといえる中小企業の資金繰りに手を差し伸べることが必要だとのべたのだが、予定されている公的資金投入の効果がいかほどのものか、どんな役割を果たすのか、これまでの実績をふまえると期待薄ということになりかねない。というのも、銀行が、中小企業相手の資金貸し出しにきわめて消極的なことが衆院委員会で明らかにされたからだ。公的資金投入に期待するのはやめたほうがよい。現実には、公的資金の投入は、本来何の責任もない国民の税金を使って、金融機関の責任を免罪するものとしてしか機能していないというわけだ。実にシビアな問題である。

しかし、昨日のテレビ番組で与謝野経済財政担当相は資金投入額について「10兆円くらい積んでもいい」と発言していたが、投入の結果、少なくとも過去においてはそれが金融機関を助けるだけのものになっているという事実を私たちはしっかり記憶にとどめておいてよい。

本日のメディア報道によれば、こんな事態を前に麻生氏は年内解散はないと公言したとも伝えられている。解散を先延ばしにする理由の一つに、首相は、今日の世界規模の危機の深刻さをあげた。二つの意味がある。この機を逃せば今の事態が将来に重大な影響を及ぼしかねないという点で、そして自民党にとって今の局面での解散がどうみても有利ではないという点で、この時期の解散は避けなければならないという判断が働いている。

ともあれ、世界を震撼させている金融危機は歴史的にいったいどのように跡付けられるのか。
この点を、岩井克人氏が日経新聞紙上(10・24)で自説を披露している。
氏の所説は、以下のように要約できる。


  • 新古典派経済学の「壮大な実験」は破綻
  • 貨幣は投機の純粋形で、本質的に不安定
  • 機軸通貨ドルの信用、大きく揺らぐ

氏によれば、ごく簡単にこのように概括される。自由放任主義というイデオロギーから資本主義を解放し、何らかの安定化政策を導入する必要がある、これをケインズの主張の要諦だとすると、その後、復活し隆盛を極めた新古典派経済学は、あらためて自由放任主義を基調とし、規制緩和を求めグローバル資本主義を成立させた。これは、資本主義の純粋化は効率化と同時に安定化をも実現するという実験でもあった。しかし、サブプライムローンにはじまる金融危機は、その実験の破綻を意味している。資本主義の純粋化は、効率化を増す一方で、その代償として不安定化をもたらしたというのだ。
岩井氏が貨幣は投機の純粋形で、本質的に不安定というとき、貨幣には、モノとしての価値がないという認識を前提にしている。皆が貨幣として受け取るから貨幣として受けるという自己循環をそこにみている。だから、貨幣のバブルがあり、貨幣のパニックがある。このように、資本主義というシステムは貨幣なしにはそれが存在することはなかったが、その貨幣であるからこそ投機やハイパーインフレを招くという不安定性を必然化した。

金融市場の危機といわれるものは何も今回にかぎったことではないが、今回の危機は従前にない性質のものだといわれている。岩井氏は「ドル危機」とよんでいるが、もともと米国の通貨にすぎないドルを機軸通貨としているシステムの危機である。今回の金融危機が米国発であるということが、機軸通貨であるドルの信用を低下させている。
だから、いまや第二の基軸通貨としてその地位を占めつつあるユーロがはたして文字どおり機軸通貨としての役割を果たしうるのか否か、その点に関心をまた寄せざるをえない。何よりも生成の過程での、民主的なルールのもとで誕生したという事実に着目するからである。

岩井氏は、いま、ケインズにならって「自由放任主義の第二の終焉」という資本主義の処方箋が書かれなければならないと語っている。
それほどに、資本主義のシステムとしての限界がいま露呈しているということだ。
(「世相を拾う」08217)