「友人の友人」というレトリック


講演で「私の友人の友人がアルカイダだ」と語った鳩山邦夫

私の友人の友人がアルカイダ(国際テロ組織)だ。バリ島中心部の爆破事件に絡んでおり、私は中心部は爆破するから近づかないようにとアドバイスを受けていた

「友人の友人」というレトリックは、自分の友人でないことを言下にふくむ。ただ、自分の友人となる可能性があることもまた示唆するレトリックだ。鳩山が講演でこうのべるのも、その可能性が寸分でもあるからであって、あるいはそう期待させるから話として成り立つわけで、その可能性がないのなら最初から語る必要もないし、聴く必要もなく、ましてや聴衆にとっては面白くもないことである。ただし、嘘やゴマカシでない以上。
友人の友人が自分の直接の友人になった時点で、「友人の友人」という言い回しはすでに意味をなさない。

鳩山発言の本意は正直計りかねるが、講演後の発言内容の訂正の際、「(バリ島の)爆破計画を知っていたということではない」と語っている。まあ、思わせぶりで、可能性をちらつかせるのが政治家―もっともすべてのという意味ではない―の本性なのかもしれないが、訂正発言もふくめて、実現の可能性=あいまいさをちらつかせながら終始語っている鳩山に驚くが。放言大臣の可能性は大。