「理不尽なクレーム」。


モンスターペアレンツなどという言葉もあるが、理不尽なクレームは学校だけにむけられるのではもちろんない。人と人との関係が成立する場面では、およそどこでも起こるものだと心しなくてはならない。けれど、理不尽なクレームが理不尽なクレームとして問題になり、伝えられるのは、多くは公共財という言葉でも表される要求やサービスにたいしてだ。たとえば、医療や教育など。
医療の場面での理不尽なクレームや横暴、暴力については、少なくとも医療機関や医療関係者の間では以前から問題として議論されてきた。看護師にむけられた患者・家族の暴力にふれた論文まであって、それによると年々事件は増えている。大学病院だけにかぎらず、民間病院でも、あるいはクリニックでも日々、発生していると考えてよい。
たとえば医師不足などで地域で医療が成り立つ基盤が崩れている現象を医療崩壊とよぶとすると、その医療崩壊の要因の一端には、医療機関から医師が立ち去っていくことがある*1。医師が立ち去っていく、おそらく引き金の一つが患者との関係によるものだ。医師は日々、患者のいのちの安全と直面するという、激しいストレスとともに、患者との関係に腐心している。これは、大なり小なり、顧客と接する職業でもいえることにちがいないが。
しかし、医療の場合、患者の側には、えてして命はまちがいなく救われるという、一種の「思い込み」がある。医療(技術)は常に要求に応えられる、要求に応えるのが医療だというわけだ。だから、医療(技術)の到達と患者の意識はつねに矛盾をはらんでいるといわざるをえない。
このギャップ、矛盾が理不尽なクレーム、横暴を生む原因だといってよいだろう。つきつめれば、事件をなくすためには、死から免れることはできないという不安と、医療の不確実性について、患者側と医療に従事する側との認識を一致させる努力がどうしても必要になる。そのためには、理不尽なクレーム、横暴を扱い、解きほぐす専門職をふくめた人的な配置が不可欠になると私は思っている。そのための、たとえば医療でいえば診療報酬上の措置が必要だ。制度上、ぎりぎりの人的体制を採るように強いるいまの診療報酬制度の改善が要る。
これまで、自民党の集票組織と事実上なっていた医師会もいまや、医療従事者は圧倒的に少ない、安全・安心の観点からも従事者数が絶対的に少ないことはあらためるべきだ、と発言するようになった。参院選での武見敬三氏の落選は、医師会会員たる医師たちの意識の変化を反映しているだろう。
メディアも医療の崩壊をとりあげるようになった今、医療をどのように成り立たせるのか、国民的な議論をすすめる条件は整っているのではないか。それはつまり、福祉でも、教育でも、同じように議論されなければならないということでもあるのだけれども。

*1:ここでふれた理由などから医師が退職し医療の現場から去っていくことを、小松秀樹氏はその著『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』で「立ち去り型サボタージュ」と呼んだ。