議事録‐田中甲議員(1999年2月18日)

145-衆-予算委員会第一分科会-2号 平成11年02月18日

○田中(甲)分科員 かなり具体的な質問になってまいりますけれども、正式名称は関東軍防疫給水部、俗に言われる七三一部隊の存在について、防衛庁としてはどのように受けとめているのか、それの事実としての存在を認めているのか、御答弁いただければありがたいと思います。

○佐藤(謙)政府委員 いわゆる七三一部隊でございますが、これにつきましては、組織上、かつての旧日本軍に関東軍防疫給水部との正式名称により存在していたこと、これにつきましては、防衛研究所に保管されている公文書から明らかと考えております。

○田中(甲)分科員 それでは、その関東軍の防疫給水部、七三一部隊が細菌戦部隊で、生体実験を行っていたとされている点については、どのように防衛庁は認識をされていますか。

○佐藤(謙)政府委員 膨大な資料の中から関連のものを調査した結果でございますけれども、例えば「満州派遣部隊一部ノ編成及編制改正要領、同細則ノ件」、こういうものが「昭和十四年陸満機密大日記」に編綴されているわけでございます。これは、「軍令陸甲第七号」、これは満州派遣部隊一部の編成及び編制改正要領・同細則、昭和十一年五月でございますけれども、これと、この軍令に基づき、満州に派遣されている当該部隊が実施した編制完結の報告をまとめたものでございます。
 その中には、関東軍司令官から陸軍大臣あての電報、これは昭和十一年十二月十日発信でございますが、これがございまして、その電報の中に、「軍令陸甲第七号に基き編成充実すべき関東軍防疫部は十二月五日、関東軍馬防疫部は十二月八日編成完結せしに付報告す」というような記載がございます。
 というようなことで、関東軍防疫給水部に関します記述は幾つかあるわけでございますけれども、今先生がお尋ねになられましたような当該部隊の具体的な活動状況につきまして確認できる資料は存在していない、私どもはこういうふうに思っております。

○田中(甲)分科員 一言で言うと、私の質問の答えに対する答弁は、細菌戦の部隊の事実確認はできていないということですか。

○佐藤(謙)政府委員 具体的な活動状況について確認できる資料は存在していない、こういうことでございます。

○田中(甲)分科員 一九八六年九月十七日、米国の連邦議会、ジョン・H・ハッチャーという陸軍記録部長の発言の中で、七三一関連文書は、一九五〇年代末か一九六〇年代初めに箱詰めにして日本政府に送り返した、そう言われていますが、米国が送り返したと言われている七三一部隊の関連文書は現在どこに所蔵されているのか、御答弁をいただきたいと思います。

○佐藤(謙)政府委員 突然のお尋ねでございますので、今の関連文書に関連して、どういう状況になっているのかというのは、この場で御報告できませんので、必要があれば、私どもから御説明するのがいいのか、あるいは違う部署がその問題について担当するのか、それも含めまして、確認をさせていただきたいと思います。

○田中(甲)分科員 これは、戦後アメリカが七三一部隊の幹部の極東軍事裁判における戦犯の免責と引きかえに、七三一部隊と細菌の関連資料を入手したというところにさかのぼらなければいけないのですけれども、そして、アメリカ政府が送り返していると言っている、そのことが確認できないと言われていますが、防衛庁、これは私が初めてする質問ではないはずです。その資料がどこにあるのか。もし事実確認がないというならば、アメリカ側にそれを照会しましたか。

○佐藤(謙)政府委員 今申し上げましたように、私どもの方からこの御報告をするのがよろしいのか、あるいは外交的な側面もございましょうから、外交当局にも確かめてみる必要があるのか、そういったところも含めて確認をさせていただきたい、こういうふうに申し上げたところでございます。

○田中(甲)分科員 これは、防衛庁だけではなくて、日本政府の隠ぺい工作、隠ぺいされている、情報の公開がされていないということ以外の何物でもない、私はそう思いますよ。
 中国の黒竜江省公文書館で、七三一部隊に関する旧日本軍の人体実験用中国人の輸送記録の公文書ファイルが発見されたと一九九八年一月の報道があります。これに対して防衛庁はどういう認識を持たれていますか。中国側にその事実の確認を行いましたか。御答弁いただきたいと思います。

○佐藤(謙)政府委員 いずれにいたしましても、私どもといたしましては、戦史資料を保管しているという立場から、我が方の防衛研究所が保管している資料について、この内容を確認する等々の協力を行っている、こういう立場だと存じます。

○田中(甲)分科員 長官、長官が大変な中で就任をされたことを私も鮮明に覚えております。その前に、前任の額賀防衛庁長官に、大変に私も心苦しかったのですけれども、これは質問せざるを得ないということで質問をした、そんな経緯もございました。
 事実を明らかにしないという現在の防衛庁の姿、隠ぺいしていくというその姿、書類を持ち帰ったり、焼却したりという姿、こういうことは、戦前、戦中、戦後の事実を明らかにしないというその日本の姿から、もう延々と続いているのだろうというふうに私は思うのですね。
 やはり非は非として認める。事実を事実として公開する。そして、こういうことを日本人がやってきたという事実を、次の世代がどう受けとめて、そしてどのように行動していくのか。そして、平和のとうとさを一人一人が自分の中で確認をしていく。そういう国にして初めて、二十一世紀の未来志向の発言ということをアジアの中で日本はしていけるのだろう、そういうふうに思うのです。事実を明らかにするということを防衛庁においてもしっかりと努めていただきたい、そう立法府から強くお願いをします。
 同じ立法府の一員である長官から最後に御所見をいただきまして、質問を終わりたいと思います。

○野呂田国務大臣 私も実は先生からの質問が出ましたので、可能な限り何か文書がないかということで督励してみたのですが、その段階で出てきたのは、例えば「関東軍勤務令改定ノ件」という、「昭和十三年陸満機密大日記」の中にとじられているものですが、その第七十五というのに「関東軍防疫部長は関東軍司令官に隷し防疫に関する調査、研究及び試験業務を掌り、且直接伝染病の予防及び撲滅並びに薬品製造等の諸作業に任ず。」第七十六に「関東軍防疫部の勤務は特に定むるものの外、戦時衛生勤務令を準用する」というような記述がございます。
 さっき防衛局長から御答弁申し上げたように、具体的な活動状況や御指摘の生体実験に関する事実を確認できる資料は確認されてないということでございますが、情報公開法もできることでありますし、御指摘のように、我々としても、こういうものについて隠すというようなことは決してないように心してまいりたい、こう思っております。

○田中(甲)分科員 終わります。