議事録‐栗原君子議員(1998年4月2日)


142-参-総務委員会-6号 平成10年04月02日

栗原君子君 新社会党栗原君子でございます。
 私は旧日本軍の七三一部隊関連につきまして質問をさせていただきたいと存じます。
 初めてお聞きになる方は全くこの意味がわからないとおっしゃるかもしれませんけれども、実は昨年十二月、参議院の決算委員会におきまして、私の質問に対して、アメリカから返還されたさまざまな資料が四万件、そのうち七三一部隊関係は四件を確認している、こういった答弁を政府からいただいているところでございます。
 さらに、昨年十二月十七日の私の決算委員会での質問に関連いたしまして、私の方で防衛庁防衛研究所の図書館に調査に参りまして、その中で幾つか資料を確認いたしております。これは昭和十五年当時の参謀本部員井本熊男大佐の日誌、そしてまた陸軍省の金原節三医事課長の業務日誌、同後任の大塚文郎大佐の備忘録、また参謀本部の真田穣一郎少将の業務日誌といったものも確認をしているところでございます。
 そこで、官房長官、定例の記者会見がございますようですから、最初にお伺いをさせていただきたいと思います。
 アメリカのノバート・フェルという人、この人は昭和二十二年、一九四七年に七三一部隊にかかわった幹部の隊員を調査した人でございます。その人のレポートの中には、中国市民に対して行った細菌攻撃の場所や地図なども含まれている。昨年、細菌戦の中国人被害者が東京地裁に提訴をしているところでもございます。
 こうした状況から見て、これらの調査、確認、開示は政府の義務であると思いますけれども、官房長官はこの義務と責任をどうお考えになられますでしょうか。

国務大臣村岡兼造君) ただいま先生がおっしゃいました七三一部隊でございますが、昨日、質問があるということで初めてこの部隊の七三一という名前を知ったような状況でございまして、いろいろ聞いてみました。
 いわゆる七三一部隊に関し従来より報道等がなされていることは政府では承知をしており、過去の戦争において我が国の行為が多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたとの深い反省に立って平和のために尽くしていきたいと考えているところでございます。
 また、これまでの政府部内の調査では政府保存の文書中にいわゆる七三一部隊の活動状況を示す資料は見つかっておりませんけれども、新たな事実が発見される場合には歴史の事実として厳粛に受けとめていきたいと考えております。

栗原君子君 政府の調査の中では十分見つかっていないかもしれませんけれども、私どもも事務所を挙げましてこの資料を追ってまいりました。そうしますと、さまざま関連らしきものが出てまいりました。
 これらにかかわりまして、調査、確認の作業をぜひ政府の方でもしてもらいたいと思います。そして、存在していればこれらを開示していただきたいということを、官房長官、お約束していただけますか。

○政府委員(薮中三十二君) ただいまのとおり、政府の部内の調査ではこれまで政府保存の文書の中に活動状況を示す資料はございません。他方、新たな事実が発見される場合には、ただいま官房長官から答弁いたしましたように、歴史の事実として厳粛に受けとめていきたいということでございまして、私ども外務省の中では全部資料を調べましたけれども、今までそういう七三一部隊の活動状況を示す資料というのは見当たっていないという状況でございます。

栗原君子君 またその中には、昭和十五年から十七年にかけて中国の浙江省の寧波あるいは衢県、金華、江山、湖南省の常徳などに細菌戦の攻撃を行ったという記述が見られるが、いつどこを攻撃したのか、またこの事実を認めるか、こういったことをお尋ねいたします。
 それから、続けて申し上げますけれども、その被害結果を調査したアメリカの報告書や中国の公文書も残っております。昨年、その細菌戦の中国人被害者が先ほど申しましたように東京地裁に提訴をしておりますが、そうした状況から見ても、事実関係の調査、確認は政府の義務であるとも思います。そうした業務日誌のほかにも関連資料があるか、あればぜひ開示をしてもらいたい。また、調査、確認の作業はどの部署でやってもらえるのか、特にどの部署でやっていただけるのか、お答えいただけませんでしょうか。

○政府委員(薮中三十二君) まず、資料でございますけれども、我々の承知しておる限りにおきましては、アメリカが押収した資料というのはございます。それにつきましては防衛庁が直接アメリカから返還を受けておりまして、これは現在防衛
研究所において保管されておりまして既に公表されているというのは、これはもう委員御承知のとおりだと思います。
 それ以外の文書で、我々の中では、政府の中でも外務省につきましては今まですべての資料を調べてまいりました。今後とも調べてまいりますけれども、これまで我々が保存しております外交文書の中にはこの関連の資料というのは見当たらないという状況でございます。

栗原君子君 いろいろ資料がたくさん出ている中に、これは昭和五十七年四月六日に衆議院の内閣委員会で榊利夫議員の質問に対して、厚生省が提出をした七三一部隊の沿革史を作成した原資料の一部と思われるものがありました。ということは、沿革史を作成するためにも他の資料も参照したと思われますが、それはどうなったのでしょうか。これは厚生省の方でお答えください。

○説明員(竹之下和雄君) 御指摘の七三一部隊沿革史というものは厚生省が作成いたしました関東軍防疫給水部の部隊略歴であると思います。
 この部隊略歴というものは、厚生省が恩給申達業務を行うに当たりまして、申請者の恩給の在職年を把握する必要性から、内部事務処理上の参考資料として陸軍の各部隊ごとに作成したものでございます。
 ただ、この部隊略歴というのは、当時の部隊関係者からの証言等をもとに部隊の編成とか改編あるいは地域間の移動などについて昭和三十年代に作成したものでありまして、現時点では関東軍防疫給水部にかかわるもとにした資料というものは私ども保有しておりません。

栗原君子君 実は昨年の十二月に私が質問したときに、七三一部隊関係は四件あるということを伺っておりますが、一つには編成詳報提出の件報告、これは大変ややこしいんですけれども、満州駐屯陸軍部隊の編成、編成改正完結の件あるいは関東軍勤務令改定の件照会、また満州派遣部隊一部の編成及編成改正要領伺細則の件などあるんですけれども、この四件はバッチャー証言にありました返還資料の一部なのかどうか、お伺いいたします。

○説明員(大古和雄君) 今御指摘のように、防衛庁の保管している資料では四件、いわゆる七三一部隊の編成関係の資料としてございます。
 ただ、今御指摘の関係との関連部分につきましては防衛庁としては承知しておりません。

栗原君子君 一九八六年九月十九日付の朝日新聞には、七三一部隊に関する第一次資料は、「日本へ返却後、最初、外務省復員局に渡され、その後、防衛庁が設置された際、外務省から防衛本庁に移され、さらに戦史室の開設に伴い、戦史室に移された。」とあります。
 この記事は事実かどうか、そしてこれ以降、資料がどこかに移されたことがあるのかどうか、そしてまた保管場所を確認し再調査をしてほしいと思いますけれども、お約束していただけますか。

○説明員(大古和雄君) 防衛庁で保管しておりますいわゆる米軍から返還された四万件の資料でございますけれども、これにつきましては外務省から移管されたというような事実はございません。

栗原君子君 再調査の約束はできませんか。

○政府委員(薮中三十二君) 今のを補足いたしますと、まさに今御指摘の資料の中で、これが米国が押収した旧軍の資料でございますけれども、これはすべて直接に昭和三十三年に米国から防衛庁に返還をされているというのが事実関係でございます。したがって、外務省へ渡されたという事実はないということでございまして、そのすべての資料というのは先ほど申し上げましたようにすべて防衛研究所で公開されているというのが我々の理解でございます。

栗原君子君 それでは、すべて防衛研究所で公開をされているということでございますね。
 続きまして、今回、国会図書館にて七三一部隊関係の資料を調査し、三点の尋問調書を確認いたしました。
 これは、ソ連に拘留されていた七三一部隊の幹部二人、川島清細菌製造部長と柄澤十三夫同課長のもので、人体実験で中国人二千名が死亡したことや野外実験場で人体実験していたことが述べられております。ソ連は石井四郎部隊長ら三人の尋問を要求して、この調書をアメリカに渡しました。
 それを受けて、アメリカ側は人体実験についてみずから調査すべく、細菌戦の専門家、先ほど申しましたノバート・フェルを日本に派遣して、約二カ月間七三一部隊の幹部を調査しました。この結果はレポートになっております。
 これは一九四七年六月二十日付のものでございますが、この中に十九人の隊員が集まって人体実験についての英文六十ページのレポートを書いて提出したこと、その他、約八千枚の顕微鏡写真や約六百ページのペストの研究紀要など幾つかのレポートを押収したことが記されております。当時、アメリカが国益にかけて最も知りたがった重要な事実でございます。
 そこで質問いたします。
 これらの押収文書は四万件の返還文書に含まれているのかどうか、お伺いいたします。二つ目には、含まれていないとしたら、別の機会に返還されたことがあるのかどうか。三つ目は、返還されたとすればどこに収容されているのか、またどこに保存しているのか調査をしてもらえますか。こういったことについてお伺いいたします。

○説明員(大古和雄君) 含まれているかという点だけ防衛庁の方からお答えさせていただきます。
 御指摘の四万件の資料につきましては、旧軍関係の資料でございますので、今御指摘になった資料は防衛庁の保管する資料の中には含まれておりません。

栗原君子君 含まれていないんですね。
 それでは、含まれていないとしたら、別の機会に返還されたことはあるのですか、そういうことはないですか。

○政府委員(薮中三十二君) 別の機会に返還されたかどうかということにつきましては定かではございませんけれども、外務省の方ではすべての文書をチェックいたしました。その中にはそういう活動状況を示す資料というのはございませんでした。

栗原君子君 どこに存在しているかという調査に協力をしていただくことはできますか。

○政府委員(薮中三十二君) 我々としては、外務省ができることといいますのは、外務省のいわゆる外交文書として残っておりますけれども、その保存文書すべてをチェックすることでございまして、その限りにおいては引き続きやりたいと思っておりますけれども、これまで調査しましたところでは一切その関係の資料はないというのが現状でございます。

栗原君子君 それでは、引き続いてお伺いいたしますけれども、国立公文書館に「凍傷に就て」という七三一部隊で凍傷実験をしていた班長の論文がございます。その表紙の裏には、ここに私はコピーも持っておりますけれども、「一九四五 オクトーバー」という押印がございます。明らかにアメリカに押収されて、後に返還されたものと思われます。一九四五年十月の押印があるわけでございますね。この文書はどういう経緯で返ってきたのでしょうか。
 昭和四十四年ごろの返還文書の中には、七三一部隊関連のものはこの文書以外にもあるのではないかと思いますけれども、どうお考えでしょうか。また、調査、確認をし、その結果を開示してほしいと思いますけれども、これらにつきましてはいかがでございましょうか。

○政府委員(薮中三十二君) 今のお話の昭和四十四年度の返還文書というのは、恐らくこれは昭和三十二年度の、まさに先ほどからお話にございますアメリカが防衛庁に直接船便で返還をしてきた文書であるというふうに考えますけれども、またその内容については既に公開されておる資料ということになっている、その中のものであるというふうに理解しております。

栗原君子君 この文書以外にもあるのではないかと思いますけれども、ほかには見当たりませんか。全く記憶もないし、もちろん調査もしていな
いということでしょうか。

○政府委員(薮中三十二君) 外務省の中では、外交文書の中では調査をいたしておりますけれども、我々の今までの調査結果ではこれ以外の文書はございません。

栗原君子君 それでは、調査、確認をし、その結果を開示してほしいと思いますが、十分できなければ私の方でもいろいろやりますけれども、そうしたことにぜひ協力をしていただくということをお約束していただけませんか、お手伝いをしますと。

○政府委員(薮中三十二君) 我々の中での外交文書につきましては、引き続き調査をしてまいりたいというふうに思っております。

栗原君子君 今まで眠っていた資料が出てまいりまして、私たちにも旧日本軍が中国においてどういったことをしたのかということが徐々に明らかになってまいりました。
 大変重要な問題だと思っておりますし、現に中国においてはこの被害を受けた人あるいは遺族の人たちがしっかりと記憶にとどめていらっしゃるわけでございます。本当に事実は一つだと思いますので、政府の方でも誠意を持って調査をしていただきたいということをお願いして、時間が参りましたので終わります。
 ありがとうございました。