議事録‐栗原君子議員(1997年12月17日)


141閉-参-決算委員会-2号 平成09年12月17日

栗原君子君 新社会党・平和連合の栗原君子でございます。
 私は、旧日本軍の七三一部隊につきましてお尋ねをいたします。
七三一部隊を中心に、旧日本軍の細菌戦部隊は生体実験によって開発した細菌兵器、ペスト菌あるいはコレラ菌などを空中や地上で散布し、中国各地で数万の人々に被害を及ぼしたとされています。
 一例を挙げますと、一九四〇年、湯江省の街県、寧波、一九四一年、湖南省の常徳、一九四二年、河北省の中部地域で非人道的な細菌戦を展開しました。特に、漸江省の義烏市郊外の崇山村では三百八十九人がペスト菌で死亡したということも言われておりまして、その生存者もいらっしゃるということでございます。
 日本政府は、第二次大戦における中国での細菌戦の事実を認め、改めて中国に謝罪すべきであると思いますけれども、総理の認識をお伺いいたします。九七年八月二十九日、最高裁七三一部隊についての記述を教科書から削除したことは憲法違反という判決を下しているところでもございます。いかがでしょうか。

国務大臣橋本龍太郎君) いわゆる七三一部隊、正確には関東軍防疫給水部というものにつきまして、従来からさまざまな報道がなされておることは承知をいたしております。
 同時に、議員御記憶のように、ちょうど敗戦後五十年の折、当時の村山内閣総理大臣から、過去の戦争における我が国の行為が多くの人々に対し耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたという深い反省の上に立っておわびを申し上げると、国家として謝罪の意を表明したこと、御承知のとおりでございます。

栗原君子君 いわゆるバッチャー証言と言われておりますことについてお尋ねをしたいと思います。
 戦後、アメリカは、七三一部隊幹部の戦犯免責と引きかえに七三一部隊と細菌戦関連の資料を一括して入手いたしましたが、ジョン・H・バッチャー陸軍記録管理部長は、一九八六年九月十七日、アメリカの下院復員軍人問題委員会補償・年金・保障小委員会の公聴会において、七三一関連文書は一九五〇年代末か六〇年代初めに箱詰めにして日本に送り返した、なぜなら言葉の問題を克服するのが我々には非常に困難だったからであると証言し、ダグラス・マッカーサーに返したのかとの問いに対して、いいえ、我々はそれを日本政府に返したと答え、それはまだ存在していると私は確信していると述べております。
 そこで、朝日新聞の調査では、一九八六年九月十九日によると、それらの資料は日本に返却後、最初、外務省復員局に入り、次に防衛庁が設置された際に外務省から防衛庁に移され、戦史室の開設に伴い戦史室に移されたことが明らかにされた。
 これらの資料は現在どこに所蔵しているのか。細菌戦被害の事実を明らかにするためにこれらの資料の公開をするべきではないかと考えますけれども、どこにあるのでございましょうか。(発言する者あり)

○説明員(佐藤謙君) お答えします。
 防衛庁におきましては、昭和三十三年に米国が押収した旧軍資料の返還を受けまして、戦史に関する調査研究に資するために防衛研究所におきまして約四万件の資料を保存しておりますが、この中には、御指摘のいわゆる七三一部隊、正式名称は関東軍防疫給水部、これの活動状況や当該部隊と細菌戦の関連を示すような資料は存在しないと承知しております。
 ただ、この返還資料の中で、関東軍の部隊改編等を示す資料の中にこの関東軍防疫給水部に係る記述がなされているものが合計四件確認されておりますけれども、当該部隊の活動状況や細菌戦との関連を示すものではございません。
 いずれにしましても、この返還資料につきましては、プライバシーに配慮した上で、原則として公開しているところでございます。

栗原君子君 昔のことだ昔のことだというような声が聞こえておりますけれども、決して昔のことにはなっていないんです。現在もずっと引きずっていることがあるということを御承知いただきたいと思います。
 これは、湯江省の社会科学院の歴史研究所にも、
これらにかかわる資料、四二年の十一月十六日あるいは十九日にどういったことがあったかという、こうした資料が現在も保存されているわけでございます。それとあわせまして、ことし、九七年八月十一日でございますけれども、この細菌戦による生存者とさらには死亡者の遺族が百八名、日本政府に対して損害賠償を求めて訴えを起こしているところでもございます。日本が無関心でいるということは道義的にも法的にも許されることではないと思いますけれども、もう一度御答弁お願いいたします。総理、いかがですか。

○説明員(佐藤謙君) 資料の点につきましては先ほど御報告したところでございますけれども、今先生からお話がございましたような七三一部隊について従来からいろいろな報道がなされていたことは承知しているところでございます。
 過去の戦争におきまして、我が国の行為が多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたとの深い反省に立って、平和のために力を尽くしていきたい、かように我が国としては考えているところでございます。

栗原君子君 バッチャー証言をここに持っておりますけれども、この記述されているところを読みましても、確かに日本政府に返したということを言っておるわけでございます。返したものならば、受け取ったという受取証のようなもの、そうしたナンバーなどはあるのではないかと思いますけれども、お調べになったことはございますか。

○説明員(佐藤謙君) この七三一部隊の具体的な活動状況につきまして、昭和五十七年当時、国会で御質問がありました際に、防衛庁としてこれに関する資料につきまして調査いたしましたけれども、そのような資料は保管していないというふうにお答えを申し上げたところでございます。
 また、米議会証言に基づく関係でございますけれども、御指摘の米議会証言が、先ほどの公聴会における証言でございますけれども、同証言では米国が七三一部隊に関する資料であることを確認した上で日本側に返還した旨を述べているわけではないものと私どもは承知しております。

栗原君子君 いずれにせよ、資料の公開の申請があった場合には公開をしていただけるわけですね。

○説明員(佐藤謙君) 先ほども申しましたように、返還を受けました資料につきましては、プライバシーに配慮した上で、原則として公開をしているところでございます。

栗原君子君 総理に最後にお伺いをいたします。
 戦後五十二年たちましてまだまだ戦後は終わっていない部分が余りにも多いわけでございますけれども、これらにつきまして政府としてどういう形で中国の人たちあるいはまたアジアの人たちに返していくのか、もう一度最後に御決意を伺いたいと存じます。

国務大臣橋本龍太郎君) 先ほど、冒頭の御質問に対し、村山内閣当時、敗戦五十年という節目におきまして公表いたしました内閣総理大臣談話が公式のものとして申し上げました。そして、これにかかわりました閣僚の一人として、当然ながらこの考え方を継続していくことは私どもの役割であります。
 その上で、例えば、中国にはまだ我が国が責任を持って処理しなければならないガスを発生せしめる砲弾の問題等残っておる問題がございます。また、我が国の中におきましても、硫黄島においてなお地下陣地等が発掘をされ遺骨が収集されておる状況にあります。海外におきましても同様の問題はございますし、今おとなう方もほとんどおられない旧軍の墓地もございます。また逆に、日本軍によって犠牲となられた方々の墓地等もございます。そして、それらは必ずしも万全に管理されておるものばかりではございません。
 先般、クラスノヤルスクに参りました折にも、ここはかつて日本軍の兵士の方々が捕虜として収容所暮らしをされ、相当多くの死亡者を出したところでありますが、その方々に対する墓地が非常に立派にロシアの市民の方々の手によって管理をされているのを参拝して私は大変ありがたく感じました。同時に、第二次大戦におけるクラスノヤルスク地域だけのロシア軍の、当時は旧ソ連軍でありますけれども、死没者の数がいかに膨大であったかも、その記念館を見せていただき、改めて戦争の悲惨さというものを思い起こしてまいりました。
 未解決の問題と言われますならば、お互いの心の整理をも含め問題はなお残っております。そして、それぞれに万全の答えを出し切れる日があるのかないのか。殊に、心の中に残る部分につきましてはその日取りを定めることはなかなか困難でありましょうけれども、私どもはいずれにしても、二度と再び戦争というものに我々が参加をし、他の民族を殺傷する武器を持つということだけはない日本をつくりたい、その気持ちはだれ一大変わらないんじゃないでしょうか。

栗原君子君 終わります。