議事録‐榊利夫議員(1982年4月6日)


96-衆-内閣委員会-9号 昭和57年04月06日

○榊委員 ひとつ国会決議をお飾りにしないようにお願いいたします。
 次いで、恩給問題と関連いたしましていわゆる七三一部隊の問題で質問をいたします。
 旧満州、つまり中国の東北地方にいました旧軍人軍属のうちで、関東軍防疫給水部に所属していた軍人軍属などがいます。そのうち恩給官員、つまり恩給を受ける公務員、これは何人いたのか、それから非恩給官員は何人だったのか、資料ございますか。

○森山説明員 関東軍防疫給水部、通称石井部隊という部隊でございますが、この部隊の復員者、つまりお帰りになった人のうちで恩給公務員の数、恩給公務員の数と申しましても普通恩給の年限の資格があるかどうかわかりませんが、一応身分的に恩給公務員となるという人の数を申し上げます。
 私どもで保管しております留守名簿という名簿がございまして、これは昭和二十年一月一日現在で外地にあった部隊の所属者の名簿でございます。これは終戦後も残務整理で復員の記録などを書き込んだものでございます。これによりますと、将校が百三十三名、准士官下士官、兵、これが千百五十二名、それから文官と申しますが、これは技師とか技手、それから属官でございますが、これが二百六十五名、合計千五百五十名です。
 それから恩給公務員でない人、つまり雇傭人が主体でございますが、この方々が二千九名。
 以上でございます。

○榊委員 関東軍防疫給水部というのは、いまもちょっと出ましたけれども、隊長の名をとって石井部隊とも称しておりますが、この本部が七三一部隊、石井部隊、これは国際法でも禁止をされている細菌戦の研究、実験をやっていた部隊であります。細菌爆弾もつくっていた。その隊長の石井中将の名をとって石井部隊、こう言っていたわけでありますが、いまの政府答弁を聞きますと、いまの数字を合計しますと約三千五百名を超える数字が出てまいります。これはいままでどこでも聞けなかった新事実であります。
 軍人はともかくといたしまして、いま言われた非恩給公務員二千名、たとえば嘱託とか雇傭人というのはどういう人でしょうか。軍属ですか、あるいは日本人ですか、中国人その他も含まれているのでしょうか。

○森山説明員 この二千名の方は軍属でございます。

○榊委員 軍属といえばもちろん日本人、こういうことになりますね。合計三千五百名を超える、これは大変な大部隊であります。これが細菌戦の研究、しかも生体実験までやっていた。これまでは、七三一部隊というのは大体二千三百名とかあるいは二千六百名とか、こういうふうに言われておりました。
 ところでもう一つお尋ねいたしますが、政府の持っておられる資料では、防疫給水部本部はハルビンに本部があって、そのほかに五つ支部があったはずでありますけれども、これを合わせますと、そこの軍関係者は幾らいたのでしょうか。

○森山説明員 私の方に部隊略歴というのがございまして、これを見ますと、昭和二十年六月十五日の時点でございますが、配置状況が書いてあるわけでございます。これによりますと、本部がハルビンにあったわけでございますが、ここに約千三百名、それから支部ハイラル、これが約百六十五名、それから牡丹江約百名、孫呉約百三十六名、林口約二百二十四名、大連二百五十名。約百三十六名とかいうのはちょっとおかしいのでございますが、これは書いてあるとおりに私申し上げているわけでございます。これを足しますと約二千三百ぐらいになるんじゃないかと思うのですが、これはいま申し上げました軍属なんかが入っていないのじゃないかというふうに推定しております。

○榊委員 ほぼ明らかになってまいりました。恐らくその二千三百名というのが石井細菌戦部隊の終戦時の軍籍要員とでもいいますか、そういう者だろうと思います。それを含めまして膨大な三千五百名に上る陣容を構えていた。
 ところで、その中には女子軍属がいたとされておりますけれども、これはいかなる人々でしょう。

○森山説明員 申しわけございませんが、そこまでちょっと調べておりませんので、先ほどの留守名簿などを調べまして、後ほど御報告申し上げたいと思います。

○榊委員 これはただの事務員なのか、あるいは慰安婦とかそういった人なのか、あるいはこの中に日赤の看護婦さんは含まれていなかったのかどうなのか、それについてはわかりませんか。

○森山説明員 留守名簿には日赤の看護婦も載っている場合がございます。ですから、留守名簿をもう一回よく点検いたしまして女子の方がいらっしゃるかどうか、その職種は何かということは後ほど御報告いたします。

○榊委員 私たちの調査では、多分この中には日赤の看護婦もいたはずであります。そうしますと、これは大変な問題なんですね。国際法も禁止をしている細菌戦の研究、それに軍人じゃありませんよ、日赤の看護婦もあるいは引き込まれていた、本人にとっては大変不幸なことでございましょうけれども、もしそうであればこれは国際的にも大問題、ヘーグ協定違反その他大変大きな問題になるわけです。そういう性質の問題だということをここで申し上げて次に移りますけれども、したがって、これはきちっと調べていただきたいと思います。
 関東軍防疫給水部の前身が発足したのは昭和二年であります。一九二七年です。ところで、政府の方にある資料では、本格的に細菌戦の研究、生体実験などを始めたのは大体いつごろだというふうに出ておりますでしょうか。昭和二年発足当時からでしょうか、それともある時点からでしょうか。

○森山説明員 私の方に持っておりますこの部隊関係の資料と申しますと、先ほど申し上げました留守名簿と部隊略歴しかございませんので、部隊略歴を見てもそういう記事がございませんので、ちょっとわかりかねるわけでございます。

○榊委員 大体昭和二年にこの前身が発足しまして、十回くらい編成がえをやっております。そして関東軍防疫給水部と称するようになったのは一九四〇年、昭和十五年であります。このときにすでにはっきりと細菌の研究、それから各部隊の防疫給水、血清、種痘、予防、そういうもの、それに基づく青少年の教育までを含めて任務づけが行われているように思います。大体このあたりから本格的なそれを進めたというふうに理解されるように思うわけであります。
 ところで、この七三一部隊についてはあれこれの報道がいまあります。特に最近、森村誠一さんの「悪魔の飽食」、これはここに持ってきておりますけれども、これが衝撃のドキュメントとして早くも百万の大ベストセラーになる、こういうようになっておりますが、テレビや新聞、週刊誌でもずいぶん取り上げられておりますし、国際的にも、実はこれがもう一つのアウシュビッツだ、ヨーロッパじゃなくて中国東北部で日本軍がアウシュビッツ的な大虐殺をやっていたということで、いま大きな反響を呼んでおるわけであります。
 きのうの夕刊にも載っておりましたけれども、おとといアメリカのCBS放送でもこれを大きく取り上げたようであります。要するにこれはペストとかコレラ天然痘その他の細菌を使っての細菌戦、ガス戦、これの研究、人間の生体に馬の血を注入する、どこまで生きるか、冷凍実験をする、生きたまま解剖する、しかも人間を丸太ん棒の丸太と称して、つまり物とみなして生体実験の材料としたわけであります。その犠牲者は三千名に上ると言われています。内訳は中国人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人、ポーランド人、オーストラリア人、アメリカ人、イギリス人、大体これくらい確実になっておりますけれども、ほぼそういうふうに理解してよろしゅうございますか、あるいはそういうことも御存じでしょうか。

○森山説明員 その間の事情は承知しておりません。

○榊委員 つまり、その種のいろいろな情報、報道もあるということは御存じだろうと思いますが、いずれにしましてもそういう大変残虐で非道なことが行われたわけであります。これはもう本当に侵略戦争の狂気と悪業の所産であります。
 しかし、私がここで強調したいのは、実はこの問題の戦後処理は終わっていないという問題なんであります。その点では日本政府としてこれはもう全面調査をしてもらいたい。関係諸国との問題にもなっていく性質の問題だ、これだけの多くの国の人たちが生体実験の材料にされているわけでありますから。おとといのCBSの場合も、アメリカ人がやられた、こういうあれですし、それぞれの国、いま挙がっているだけでも八カ国は挙がっているわけであります。したがいまして、総務長官は戦後処理の所轄大臣でもありますけれども、この問題についてはひとつ真剣に全面調査をやっていただきたいと思うのでありますが、いかがでございましょう。

○田邉国務大臣 この問題につきましては、先日の報道で私も承知をしたわけでございます。戦争という異常な状況下で行われたことにせよ、人道上まことに遺憾であると私は思っております。このような悲惨な結果をもたらした戦争は再び繰り返すべきではない、こういう決意を新たしておる次第であります。

○榊委員 調査はいかがでしょう。

○田邉国務大臣 この調査の問題については私のところの所管でございませんので、関係省によく照会をしてみたいと思っています。

○榊委員 省が違う、こういうことではなくて、これは恩給の問題とも直接関連してくるわけでございますけれども、これは内閣として責任を持って調査をしていただきたい。だから長官の方からもひとつしかるべきところに、閣議でも問題を提起していただいて、全面的な調査、真実の究明、これを明らかにする、そのことをお約束できますかしら。

○田邉国務大臣 厚生大臣とよく打ち合わせをしてまいりたいと思います。

○榊委員 厚生省はこの問題は調査を始めていますか、あるいは行っていますか。

○森山説明員 私のところでは調査をしておりません。しかし、これはむずかしい問題だと思いますが、なかなか困難ではないかという感じがいたします。

○榊委員 いまさっき総務長官は、新しい角度で厚生大臣の方に問題提起をして、こういうことでございましたけれども、重ねてひとつ全面調査をお願いをいたします。
 実は、七三一部隊が日本に引き揚げる際、石井中将は軍事機密はもちろん、軍歴をも隠すこと、公職にもついてはいけない、このことを隊員に厳命しているわけであります。そのために軍人恩給を申請しなかった人々が多数に上っております。このことは御存じでしょうか。

○島村政府委員 私ども、その辺はよく承知しておりません。この前、森村誠一さんの本を読みましてそのことを承知いたしましたが、具体的にはその辺は私どももよく事情はつかんでおりません。

○榊委員 秋田の魁新報というのがありますけれども、その新報に御当人の投書も載っております。
 ところで、隊員はそういう状況だった。隊長の石井四郎、彼は数年前死亡しておりますけれども、この人は恩給は受けていたでしょうか。

○島村政府委員 ちょっとプライバシーの問題にかかわりますので、その辺の答弁は差し控えさせていただきたいと思います。

○榊委員 この人は、裁定を受けて恩給をちゃんともらっていたはずであります。そういう点では言うなれば、国民の血税の中からちゃっかり、部下はともかくとして御本人は恩給を受け取って、まさに森村さんの「悪魔の飽食」にちなめば悪魔の恩給ということになるでしょうが。お答えにくければ特定しないでも一般でいいですけれども、中将の恩給という場合には、戦後いまから四年前までずっと恩給を受けているとすれば、額はどれぐらいになりますでしょうか。

○島村政府委員 中将の場合でございますと、恩給が復活しましたのが昭和二十八年でございますから、二十八年から五十七年ぐらいまでの間約三十年間、二十九年になりますか、それを計算しますと約二千万円ぐらいになると思います。

○榊委員 一時七三一部隊長を石井中将とともにしていた北野政次という、この人も中将であります。この人も恩給を受給しているはずでありますが、その恩給額は大体右に準ずる、こう見てよろしゅうございましょうか。

○島村政府委員 中将でございますれば、大体そういうことになると思います。

○榊委員 実はこの人はまだ現存中だと理解しております。いずれにしましても、石井中将にしても北野中将にしても細菌戦研究をやり、しかも三千名という大量の人たちを生体実験をやって命を奪った。とりわけ敗戦直前、もう本当に大量殺人をやったわけです。秘密が漏れるのを防ごうとして皆殺しをやったわけです。そういう言うなれば悪魔、こういう人たちは戦後も恩給つきで、ところがこれに協力させられた人たちは使い捨て、いまも黒の十字架を背負っている。軍歴を隠さなくてはいけない、公務員に、つまり役場の吏員になることもできない、禁じられているから。
 そういう点では、ひとつ厚生省にお尋ねいたしますが、石井中将がやったと言われる命令、つまり軍歴を秘匿せよ、公職につくな、こういったものはもちろん過去の話であって、現在生きているものではないと思うのですけれども、どうでしょう。

○森山説明員 そういう話は聞いたことがないわけでございます。

○榊委員 聞いたことがないくらいかつての軍の命令が生きているはずはない。生きているはずはないのだけれども、実際にはそれに縛られている人たちがいるということもまた事実なんですね。悲劇といえば悲劇でしょう。そして軍歴を隠し、公務員にもなれない。そして今日までもちろん恩給その他これは無関係。私はそれを弁護するつもりは毛頭ありません。やはりこの人たちもある意味合いでは生体実験その他に参加してきている。
 七三一部隊の人たちもそうですが、もう一つ一〇〇部隊というのがある。これは長春郊外ですが、もとの新京の郊外にあった。これも同じような細菌戦の研究をやっていたわけでありますが、これの元隊員もやはりほぼ同じ状況に置かれております。
 その点では、もはや軍歴を隠せといったそういう命令は生きていないのだということを何らかの形で告知する必要があるのじゃないかと思うのですけれども、これはいかがでございましょう。

○島村政府委員 私どもは七三一部隊ということではございませんが、一般的に言って、恩給は請求しないともらえないわけでございますので、そういうふうに恩給の請求につきまして要するにPRを実はやっておるわけでございますし、政府広報あるいは新聞、テレビ、ラジオ等を用いまして、市町村あるいは厚生省の方等を通じまして一般的にそういう広報を実はやっているわけでございます。
 先生御指摘の七三一部隊の方につきましても、先生がさきに言われましたように、森村誠一さんの「悪魔の飽食」というのは非常に百万部も売れたということでございますので、これは相当のPRになっておるのじゃないかというふうに感じますけれども、私どももそういうPRということにつきましては一般的にしてまいりたいというふうに考えております。

○榊委員 本はベストセラーだ、それはPRだ。いまその続編は私たちの新聞の日曜版に連載しておりますけれども、いずれにしましても、そういう自然のものにゆだねるのじゃなくて、現に何千人の方がそういう状況があるのですから、告知しないでも、少なくとも議事録にでもそういった戦争中のものはもう生きてはいないということをやはりとどめておく必要があるだろう。だから、生きていないというこのことについてはそうだと、こういうことを言っていただけると思うのです。長官いかがでございましょう。それはもう常識の部類ですから。

○島村政府委員 ちょっと質問の趣旨がわかりませんが、軍歴を隠せという意味でございますか。

○榊委員 つまり、戦争末期に旧軍が命令をした、その命令はすでにもう生きてはいないのだ、いまは効力を持たないのだ、こういうことですね。これはもう常識ですね、そう理解していいですね。

○島村政府委員 それはそういうふうに理解していただいて結構だと思います。

○榊委員 それでは次の質問ですが、アメリカのジャーナリストのジョン・パウエルという人の論文があります。それによりましても、情報公開法で公開された戦後のマッカーサー司令部、GHQの文書には、終戦直後にこの元七三一部隊の首脳部と米駐留軍との間に密約が交わされている、細菌戦の技術を対米提供する、七百ドルだ、安いものですが、それと引きかえに戦犯にすることは免除する、こういうことにしたということがGHQの文書にあるわけであります。そのことは米国務省が日本側に伝える、そういうことも述べているわけでありますけれども、この当時のアメリカ側の通報など関係記録は外務省にあるのじゃないかと思うのですが、これは公表できるのでしょうか。

○加藤説明員 お答え申し上げます。
 何分三十年以上も前の、わが国がまだ占領下に置かれておりましたときのお話のようでございますので、外務省といたしましてその御指摘のような事実、それに関する記録というようなものがあるか、この点は承知しておりません。

○榊委員 このGHQ文書はもう公開されたのです。実は私も見たのです。ですから外務省はアメリカに問い合わして取り寄せてみて、そうだとすればそれに照応する文書、これはちゃんとあるでしょうから、戦後の講和の前のものもそれは調査していただきたいと思う。

○加藤説明員 お答え申し上げます。
 外務省といたしましては、個々の小説でございますとかあるいは論文ないしは伝聞に基づく報道といったようなものにつきまして、その内容の一々を対米照会するという立場はとっておりません。

○榊委員 そのGHQ文書は、もう三十年、公開されていますよ。それは外務省、手に入れてないんですか。だとすれば、不勉強というほかない。やはりこれは入手をして、責任を持って――直接日本に関することなんですから、いま手元にないとすれば入手する方法は幾らでもあります。問い合わせることだって幾らでも可能だと思うのであります。余りしたくない、こういう態度のようでありますから、それはもうこれ以上質問しませんけれども、いずれそれはやっていただきたいと思います。
 それからもう一つ、戦後一九四七年から五二年にかけて、在日米軍四〇六部隊、これは厚木にいた部隊、ここで旧七三一部隊の者が多数米軍属として使役されていた、こういう事実が伝えられるのでありますが、この人たちはどういう仕事をやっていたんでしょうか。当時そういう使役として使われていた日本人、それはどれぐらいいたんでしょうか。それから、その関係記録があるとすれば、これはもう三十年も過ぎたものですから公表できると思うのですが、いかがでしょうか。

○加藤説明員 これまた何分三十年以上も前の占領下時代のお話でございまして、そのような事実があったというふうなことは、外務省として承知いたしておりません。

○榊委員 ずいぶん外務省というのは不勉強だと思うのですよ。やはりもっと責任を持ってそういう問題について勉強して調査をして、少なくとも日本人に関することですから、必要であれば直ちに問い合わせをしたり資料を取り寄せたり、それぐらいの勤勉さをひとつ持っていただきたいと思います。
 ところで、大戦末期の風船爆弾の中に、石井部隊のつくった細菌が詰められていたんじゃないか、こういう報道もあります。あるいは戦後アメリカ側に資料が渡されて、朝鮮戦争インドシナ戦争でも使われたのではないかという報道もあります。あるいは昭和二十三年、例の平沢貞通の長崎町の帝銀事件の際、やはり七三一部隊の関係者がたくさん調査されている。どうも手口が以ている。そういういろいろな七三一部隊に関しての情報や報道が相次いでいるわけであります。
 私はそういう点では、あくまでも戦争犯罪やあるいは化学の悪用、そういう悲劇を繰り返してはならない。繰り返さないためにも、政府としては七三一部隊について知る限りの調査をやり、また資料があれば、その資料をある限り再点検をして、国会に提出するとかあるいは公開するとか、そういう積極策をとるべきではないか、こう思うのでありますが、総務長官はいかがお考えになりますでしょうか。

○田邉国務大臣 この問題は私の担当の問題ではないと思っておりますが、いずれにいたしましても、これが厚生省に関係あるのかよく調べまして、検討さしていただきたいと思います。

○榊委員 ところで、この七三一部隊の首脳は、いろいろ調べてみますと、八・一五の敗戦を待たずに特別輸送手段で早々に帰国しているのです。細菌爆弾を運んできていまして、大事だから日本に持って帰ろう、しかし処理に困って玄界灘で一晩じゅう海に捨てて、捨てれば海水で死んじゃいますから、そういうエピソードもあるわけであります。
 それから私ここで申し述べたいことは、彼らはいち早く日本に帰ってきたが、その陰で、通常の日本人居留民、開拓団員、こういった人たちは異常な苦難と苦労を強いられたという戦後の歴史なんです。最近問題の残留孤児もそうでしょう。これは重要な戦後処理問題の一つだと思います。三十数年、言いあらわせぬ苦労があった。この十年来帰国永住者は六十八名、一時帰国者が二百四十名と聞いておりますけれども、まだ相当、千名から三千名ぐらいの帰国希望者があると聞いております。これはやはり基本的に希望がかなえられるようにしていかなければなりませんし、また自立のため、日本語の習得や技能の習得、就職その他の援助や整備が必要だと思いますが、特にこの点では帰ってきた場合の戦後の労苦への慰労金、これはやはり積極的に考えていいんじゃないかと思うのですが、総理府としてはこの問題、検討される意思はございませんでしょうか。

○岸本説明員 厚生省といたしましては、中国残留孤児の肉親捜しの調査並びに、孤児が帰国を希望する場合に、また日本に永住を希望する場合に、引き揚げ援護の措置また自立更生のためのいろいろな定着化対策について、各省力を合わせてやっていくということでこれを進めているわけでございます。慰労金につきましても、先生の御趣旨はわかるわけでございますけれども、私どもといたしましてはきわめてむずかしい問題だというふうに考えるわけでございます。

○榊委員 これはぜひひとつ検討を始めていただきたいと思います。
 それから具体問題にこういうものもあるのです。同じ帰国者でも、男女の差別がある。横浜の井上清八さんという人の場合ですと、兄さんと妹さん、きょうだい二人帰ってきた。それぞれ連れ合いと子供がいる。別家庭を営んでいる。ところが、妹さんの方は夫が中国人だ。中国名だ。そうしますと、兄さんの方は帰国の旅費とか帰還手当、これは子供の分も出るのです。ところが妹さんの方はそういう、つまり嫁いだという関係にあるために本人の分だけしか出ない。こういう点では処理に格差が大変ひどいわけであります。
 これはやはり基本的には家族全体に渡すということが至当だと思うのですが、人道問題として、戸籍法の改善その他の問題もありますけれども、緊急に各種の助成などでの差別解消、少なくともこれをやるための具体策はやはりすぐ検討すべきじゃないかと思うのでありますが、この点はいかがでしょう。

○岸本説明員 引き揚げをする場合、中国人の夫であるか日本人の夫であるかによって現在まで旅費その他につきまして差があったことは事実でございますが、新年度になりまして、この差を解消するようにいま検討いたしております。いまのところ、新年度に入りましてからまだ具体的な事例はございませんけれども、そういうことの起こらないように対応していきたいという考えでおるわけでございます。