党名変更をめぐる滑稽さ
党名変更というのは、日本共産党につねづね向けられてきたものですが、これは違います。自民党の話。発端は、いわずもがな。総選挙で大敗し、下野するという事態に直面したからです。
自民、党名変更の議論は1週間余で幕
「党名の問題は終止符を打とうじゃないか」――。
自民党は4日、党本部での政権構想会議(議長・谷垣総裁)で党名変更は行わないことで一致した。党再生の狙いで浮上した党名変更の論議は、わずか1週間余りでお蔵入りとなった。
議長代理の伊吹文明・元財務相は記者会見で「自由と民主は変わらぬ価値観として大切だ。民主党に対峙(たいじ)できる党名としていい」と強調した。
自民党が自由と民主を体現してきたとは少しも私は思いませんが、この党の政党としての議論の水準を、1週間の党名変更問題は見事に示唆しています。
そこで、党の名前をかえろというわけでしょう。いいかえると、衣を変えて勝負ということ。中身がどうかわるかは横において。正確にいえば、大森理森が自民党綱領の変更に言及したことはあるのですが。
自民党綱領の修正提言へ 自民・大島幹事長
自民党の大島理森幹事長は21日午前、テレビ東京の番組に出演し、「党綱領の一部修正も視野に入れる。保守とリベラル、大きな政府か小さな政府かなど、今後何を目指すのか党内にも議論がある。理念をきちんと作りたい」と述べ、党の再生策を検討している「政権構想会議」が年末にまとめる政策大綱で、党綱領の修正を提言する可能性に言及した。党綱領は昭和30年の結党時に作られ、結党50周年の平成17年に刷新された党の基本理念。憲法改正や、「小さな政府」の希求をうたっている。
大島氏はまた、自民、公明両党の今後の選挙協力について「連立政権下の信頼関係は崩れないが、今求められるのは自民党らしさ。『単独でも頑張れる』というところから始めたい」と述べ、公明党支持者だけに頼らない選挙態勢を作る考えを示した。
綱領の根本的な改定をおこない、従来とはまったくことなる社会をめざすのであれば、党名変更は俎上にのぼって当然です。大森理森が綱領の見直しにふれたといっても、この程度のもの。伝えられるかぎりでは、そもそも本質的な改定を考えているわけでもなさそう。これもまた、選挙に敗北したところに起因する動きでしょうから、所詮こんなものなのかもしれません。さしあたりの、政権復帰のための戦術としての。
一方、日本共産党の場合には、同党が変更をまったく考えていないにもかかわらず、善意の立場からでしょうか、変更しろという意見がむしろ党の外から繰り返されてきました。自民の今回のケース党は同党内から湧き上がった議論だけれど、日本共産党の場合はちがう。対照的です。ここまでこのエントリーでは共産党の前にあえて日本をつけて特定してきました。それにはわけがあります。党名変更の意見も実は日本の共産党という一点にかかわっているのだと理解します。すなわち日本の外の世界では、ソ連につづく、東欧の社会主義国家といわれた国々がつぎつぎに崩壊した。そして、日本の周辺には、北朝鮮という国もまた社会主義だと受け止められてきた。党名変更を(日本)共産党に迫る意見がある前提に、こんな歴史的背景も手伝っています。平たくいえば、日本からみた社会主義とはソ連であって、東欧であって、北朝鮮であって、そのイメージが悪すぎる。なので、たとえば、仮に日本共産党の個々の政策に共感する人のなかにも、そのため支持が広がらないのではと考えてきた人もいるのでしょう。日本共産党は、しかし、かえる意思のないことを表明してきました。長い歴史と同時に、資本主義をのりこえる社会への展望をもっている。党名は、その仕事を共同でおこなうというところに由来すると説明してきたのです。むろん共産党自身の認識は旧ソ連や北朝鮮を社会主義国家ではないというものなのですが。
話を冒頭に戻します。こうした共産党の態度と比較すれば、自民党の今回の態度は面白い。というか、失笑ものですね。
結論は、変更論議は1週間で取りやめになりました。大上段に一旦は構えたはずですが、いったい何だったのでしょうか。いやしくも綱領をもつ政党−民主党にはないのですーが、党名を変更しようと思い立って、それをわずか1週間後にやめるというのでは、自民党の議論というものの底の浅さが露呈しています。党名とは、彼ら自民党(国会議員)にとって、そもそもこんな軽い認識の水準だということの証しです。裏をかえせば、綱領というものは、国民の請託にこたえるためのプログラムですから、国民は軽視されているということになるのでしょうか。
自民党敗北を真剣に総括しようと思えば、同党のとってきた路線そのものが問われなければなりません。その路線に国民が審判を下したことは事実として目の前にあるのですから。たとえば財界優遇の一方で国民に様々な形で負担を押し付けるというところにこそ批判の対象があったと私なんかは考えるわけです。ともあれ、自民党自身の思惑の政権復帰は、こんな党内の事情では覚束ないといえるのかもしれません。