貧困をねらいうちにする日本


貧困ビジネス [著]門倉貴史

この書評について意見をのべたい。
評者は永江朗さん。論脈に異論はない。だが、もう少し踏み込まないといけないだろうというのが私の率直な意見だ。つまり、「貧しいものをより貧しくし、回収した税金で大企業を優遇する。これを国のしくみとしていること自体」が貧困ビジネスではないかと私は以前にのべてきた(参照)。こういた国家的な貧困ビジネスは、政治の評価を税の使い道ととり方におくとすれば、究極の徴税策といわれる消費税増税に収斂するからだ。税の配分をここでとりあえず横に措くとすれば、税収の構造がどのようなものなのか、これが問われるだろう。
私は、払えるものが相応の負担をするという意味で所得税・法人所得税の累進性を現状より強化する方向をまずあげたい。少なくとも日本の税政策はこの点で、このところ逆の方向をたどってきたといえる。これを元に戻すことをまず考えてみることだ。
同時に、こうした高額所得者への累進税率緩和や法人税減税と同時にとられてきたのが消費税増税であった。ここで詳しくのべる余裕はないが、分かりやすくいえば法人税の負担軽減で生じた税収の不足を補ってきたのは、明らかに消費税増税であったのだ。これは、消費税の負担割合が相対的に低所得者が重いと指摘されてきたいきさつを考えると、税を払える能力を持つ者の負担を軽くして、一方で所得の低い人から相対的に重くなる負担割合で徴税するということだから、この行政姿勢に貧困ビジネスという呼称を与えてもまちがいはないだろう。だから、この立場から私は消費税増税こそが国家的な貧困ビジネスという湯浅誠の言葉を支持してきた。

ようするに、現実に貧困にあえぐ人びとにたいしてセーフティネットを備えるということは、底に近いところまで抜け落ちた人々の生活を支えるにたる保障を社会的に準備するということだけではなく、底におちようとする人々を落ちないように、たとえば徴税面でも支えなければ意味をなさない。消費税増税が、いかに社会保障(の充実のために)というふれこみでやむなしの世論づくりがすすめられようと、消費税増税そのもののもつ貧困層にこそ痛みを押し付けるという側面は排除できないのだから。この点をしっかり押さえておきたいものだ。

永江さんの書評は、貧困ビジネスを扱いながら、この消費税増税のからくりに言及していない点で画竜点睛を欠くものといわずにはおれない。けれども、氏が、「根本にあるのはセーフティーネットの不十分」と鋭く日本の社会保障のすきまだらけの社会保障制度の現状を指摘していることに肯んぜざるをえない。氏がいうように、せいぜい日本の社会保障の水準は「フリーランスをしていると、アパートの部屋ひとつ借りるにも大変な苦労と屈辱を強いられる。ケガをしたり病気になったりすると、たちまち仕事も住まいも失って路上で死ぬしかない」のが実情だからだ。
まさに氏のいうとおり「貧困ビジネスを生んだのは政治と行政の貧困」なのだけれども、それは、税のとり方と税の配分のあり方をめぐってどのような態度をとるのか、それを分岐にしているということだ。

少なくとも日本政府は、税のとり方と税の配分のあり方をこれまでとちがって根本的にあらためようとする方針をとっているわけではさらさらない。これまでと同じように大衆課税といわれる消費税増税をちらつかせているのだから。消費税増税の税率を西欧諸国との数字上の比較で喧伝しながら、これだけの貧困が深まる中で、それでも増税への道を国民に押し付けようとする麻生政権こそ、貧困ビジネスを大々的に拡大しようとする方針をとっていると指摘しても、少しもおかしくはないのだ。