自衛隊勧誘という究極の貧困ビジネス


きょう、ある会合で派遣切り・解雇の横行が話題になった。政府の対応が、局面が求める迅速性とはおよそかけ離れていて、労働者の雇用とくらしなぞ、ほとんど視野にないのではないかという意見が圧倒的だった。同じように、地方自治体の対応も、痛いところにさわるあの手つきのように、慎重というのか、あるいは、いやいやながら対応する姿のようにも受け取れる、その程度のものにすぎない。事態の深刻さは、東京から遠く離れたわが、この地方でも同じ。首切りが公表されているキヤノンの工場がある大分からは、解雇された労働者がこちらに集中してきているという報告もあった。日産の工場が立地する地域では、すでに解雇された労働者が職を求め、まったく前職とは無関係の医療機関の面接を受けた事例、解雇された労働者が日々の路上生活の負担が重なり、救急車で病院に運び込まれる事例がこもごも報告された。

こんな事態を直視しつつ、不況で赤字必至などという宣伝が強調されているものの、利益はちゃんと確保するようなものにすぎず、働く者への解雇・雇い止めという仕打ちは決して不可避ではないことを国民の共通の認識にする作業が急がれるのではないか。同時に、現に首を切られ、明日からの生活の青写真などまったく立たない人びとへの緊急支援が必要だ。「派遣村」の経験はその意味で教訓に満ちている。私たちがこれまで聞いてきたことは、敗戦後の日本では、今日の「派遣村」のプロトタイプがあった。困った人びとに寄り添う取り組みを挙げるに事欠かない。たとえばセツルメントの活動も広義のその種の活動であった。「派遣村」の活動は、伝統をその意味で引き継いでいる。
先の話に戻ると、この地でも「派遣村」と同様の計画を立てようということで具体化が図られている。3月末までに解雇者は公認で8万5000人に及ぶといわれているくらいだから、実際にはその地点でその数倍になることも推測される。「災害」に直面した人びとへの緊急支援とともに、世論喚起の運動がいよいよ重要になってきた。

雇用をどのように確保するのか、首を切られた労働者の雇用をどのように保障するのか、これは容易な課題ではない。
そこで、こんな動きも表面化している。自衛隊が、派遣切りで解雇された労働者を対象に勧誘を強めているというのだ。
当ブログでは、米国を引き合いに出して、戦争が貧困ビジネスの最たるものだとのべてきた。堤未果さんが常々語っているが、米国のとくにマイノリティを対象に、戦争屋たちが高校生狩りに乗り出す。彼らの多くは貧困層だ。
自衛隊が派遣切りの労働者にねらいを定めようとする構図は、堤氏が伝える米国の兵士リクルータたちの行動と瓜二つのものだ。

我われは貧困大国だといわれる米国のこともそれほど知っているわけではないが、こんな相似性は、その米国同様に日本もまた「貧困大国」にならんとしているかのようにも思えるわけだ。
この不況といわれる時期に、それを逆手にとって、自衛隊入隊勧誘が勢いを増している。だとすれば、日本もまた究極の貧困ビジネスがはびこる事態に立ち至っているということだ。


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