歳末鳥獣戯画−希望は戦争か、連帯か


新しい年がすぐそこに迫ってくるこの時期は存外、残酷なのかもしれません。現在からみて好調を維持し今後はさらに有望だと予測可能な人がいる一方で、ある人にとっては、いまの自分の置かれている環境を慮り、そして年の瀬が自分の将来にたいして悲観を迫るものでもあったりするのですから。
ましてや、新年がそこにみえるのに解雇を宣告されたら、私とてこれから先のイメージを黒一色で塗りつぶすにちがいありません。日本国にはいま、しかし、これと同様の思いを抱く人が毎日といえるほど、つくり出されています。期間工・派遣切りが紋切り型のように相次いでいます。また、解雇にかかわってこれほど、ニュースが流されるのも記憶にありません。
以前に、非正規労働者だった赤木智弘氏が希望は戦争と語ったことは少なくない人に知られているでしょう(参照)。氏の言葉をきっかけに議論もありました。日本の非正規労働のはらむ問題は、たとえば諸外国の同一労働・同一賃金という一点だけをくらべても異常だと断じえますが、今日の解雇は、派遣労働者の労働者たる資格を奪うことにある(参照)。労働者から労働を奪ってなにが残るのでしょう。派遣労働者でなくなったら、もう選択肢がないのです。
赤木氏は今日の事態についてどう語るのでしょうか。いまでも戦争とのべるのでしょうか。

こんな所説があることを知りました。高名なブロガー−こういっておけば自己顕示欲の強い彼はさらに鼻を高くするのでしょうが、その彼が派遣切りを扱っています。普段は平和やリベラルだとか標榜していながら、この問題でほとんど沈黙しているに等しいブロガーは少なくありませんから、彼独特のセンスは他にはないものかもしれません。その主張の是非は横に置くにしても、文体と構成において、先のブロガーたちとは正直、比較になりませんから、いきおい筆にも力入る気配が伝わってくるような。
しかし、その結論がサイトの立ち上げですから、針小棒大といえるのでしょうか。今日、明日の解雇宣告に対処しなければならないのに、情報を集めるために、支援するためにサイトが必要だとか。彼をもってしてもブログの世界からは現実がみえないのでしょうか。いわんや、彼自身が、いくつかの国とちがって日本でのブログの世論形成に果たす役割について否定的にといわないまでも、消極的な評価を下しているにもかかわらず。
すでにナショナルセンターといわれる労働組合全労連にしろ、中立系にしろ、あるいは連合でさえ窓口を開いている。常々、共産党やいわゆる共産党系といわれる運動を扱おうとしないマスメディアに登場するのが、共産党であったり、全労連であるのは何とも皮肉なかぎりですが、それはこの問題でのそれぞれの力の入れようを端的に表現しているにすぎません。繰り返すと、大企業にモノがいえない政党や組合であっては本気になって闘えない。ブロガーもまた然り。

冷静に事態をながめれば、すでに運動ははじまっている。各地で組合がつくられ、決起しているのです。今、求められているのはこれを面にしていくことでしょう。
この点で、湯浅誠、河添誠両氏は、希望は連帯にあるとかつて語っています。私なら、赤木氏の戦争でもなく、高名ブロガーのようにサイト立ち上げでもない、連帯を採ります。
ようは、非正規労働者派遣労働者に連帯の可能性を伝えることに尽きる。
赤木氏はそれを否定し、高名ブロガーの錯誤は連帯をネットの世界に置き換えようとするところにありますが、期間工派遣労働者がまず窓口を知らなければなりません。その門をたたかねば、先にすすめません。一人ではなく、二人、三人と同じ人間がいて、同じように考える人間がいることも知らなければなりません。悲観、絶望から抜け出る可能性が存在することを知らなくてはならないでしょう。
企業横断的な労働者の組織があることを知らなければなりません。
対抗の軸は、あくまでも労働の現場にあるのですから。
(「世相を拾う」08262)