社会の縮図がここにある。


フリースクールの経営者が、営利目的でただ働きさせた容疑で追及されているようです。
記事が紹介するように、ある意味で無法のかぎりを尽くし、入所者から収奪する経営者の異常さに、眼を奪われてしまいます。
http://www.asahi.com/national/update/0914/OSK200809140009.html?ref=goo

けれど、私は、このフリースクールというものが、日本社会の縮図にみえてならないのです。別の言葉でいえば、日本社会の無法が、この経営に凝縮されているといえるでしょう。

なぜそういえるのか。経営者のとったといわれる以下のそれぞれは、現代日本には似通う事態があちこちに存在していないか。

  • 神社のお守りづくりや電気部品の組み立てをさせ、入所者に報酬を一切払わない
  • 親族が経営する店から仕入れた賞味期限切れの弁当やカップラーメンなどを食べさせる
  • 外から施錠された寄宿舎に監禁状態に置かれた
  • 水の使用も制限する

賃金不払い。一切払わないかどうかではなく、労働者が働いた対価を支払わない事象は、最近の「名ばかり○○」という、形を変えて存在しているではありませんか。
非人間的な扱い。これはいちいち挙げるべくもなく、たとえば非正規雇用労働者への扱いに今では具現している。
まあ、記事では、不良在庫になるはずの賞味期限切れ商品をあてがうというのですから、その扱いの残酷さはこの上ないといってもよいのでしょうが。わが日本国では、しかし、一流といわれてきた老舗が客に食べ残しを出し、経営に役立てるという事象が、実はころころところがっていたのですね。
働くものを監禁状態に置く。労働者が寮に住まえば寮費を取られ、けっして高くはない賃金から、天引きされ、残るのはまさにワーキングプア水準という、若い労働者の生活実態がこの間、幾度となくテレビで放映されました。彼らは、事実上の監禁状態に置かれているといっても過言ではない。そのシステムから離れることはすなわち収入を絶たれるということの、いいかえにすぎません。
そして、かつて思想・信条を理由に「トラの檻」に労働者を閉じ込めていた大企業は少なくなかった。

いいたいのは、現代日本社会、あるいは日本の資本主義には無法が同じように存在しているということです。
フリースクールは、その無法を小規模で、システマティックでないものに置き換えたにすぎません。
賃金不払いと非人間的扱い、これこそ日本資本主義をしっかり貫いている法則でしょう。働く者を犠牲にして最大の利益を確保するという習性があるのですから。